浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2023-09-13 00:08:10 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

  恩師の御著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第一章 或る愚か者の生涯

            ◆念力から祈りへの転換◆

ある夏の日に村の中の道を、
金魚売りのおじさんがタライを下げた天秤棒をかついて歩いていました。
「金魚ぉ――え、金魚っ」と、調子よく声をあげながら、ゆっくり歩いています。
それを後ろから眺めていた私の悪戯(いたずら)心がムクムクと夏雲のように湧いて
きました。
私は面白半分に自分の思いであのおじさんを動かせないものかと実験を試みる気になりました。
「よし、ひとつぼくの力であのおじさんの進む方向を変えてやろう」と、私は念をこらしました。
最初は真直ぐに歩いていた金魚売りのおじさんも、私がその後ろから歩きながら「右右右」
と思うと、だんだん右斜めに歩むようになり、「次は左左左」と思うと、左へ歩き、
右に行ったり左に行ったりし始めました。

これは面白いぞ、と私はさらに念の集中を続けながら、歩行の乱れを見守りました。
すると、だんだんと左右の往復は穏やかなカーブからきつい曲線を描き、
ついには振り子のように直線的に道幅と同じく左右に行ったり来たりするようになっています。
それなのに本人はまったく気付いていません。
私はその光景を見てなんとなく満足し、愉快でもありました。
考えてみれば恐ろしいことです。
明らかに私の心は間違った方向に行こうとする一歩手前でした。
人の心、人の念は恐ろしい力を持っているということを幼い頃から自然と教えられていたようです。

念力を使うと自分の心のエネルギーは減ってしまいます。
人の心の自由を奪い、肉体にまで影響します。
しかし、重要なのは人の心を動かすことは誰にも許されないということです。
それができるのは神様のみです。
基本的には人間の自由意思は神でさえも尊重しておられます。
以後、こういうことはしてはならないと、
自分の力を誤まった心で用いないことを自分自身に堅く誓いました。
それから、あることがきっかけとなり、
真剣な祈りというものを捧げることになっていきました。


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