幸せになろうね 改め しあわせだね

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私達はすぐにも幸せになれるのです。

許す

2013年04月06日 21時57分30秒 | ひとりごと
人は誰かを(何かを)「許す」とき、一番美しく輝く


 少し前に何かの本で目にした言葉




 私は思春期以降
ずっと父を恨んできた。

父に傷つけられた思いは大人になってもずっと尾を引き
そのことに気付いてさえいない彼を憎み
いつまでも一向に変わらない彼を蔑みさえした。



 育ててもらったことへの感謝を差し引いても
それらの思いははるかに重く
ずっと彼が嫌いだった。




 が、父が父であることは変えようもない事実で
ゆえに、父を蔑んだり、憎んだりすることは
私の中に流れる「血」にそうすることであり
それは私自身を傷つける事でもあった。


 だから私はずっと自分が嫌いだったし
人も自分を認めることはないんだと思ってきた。
そんな私が子供を持つなどとはとんでもないことでもあった。

全て、父のせいだと思ってきた。




 けれど、昨日読み直した本「後悔しない生き方」に書かれていた。


人はみな、自分が直面している状況に対する反応を変える力を持っている
 ということに気づかねばならない。

 その原因の外的な要素ではなく内的な要素を探そう。他の人を責めたり
 勝手な言い訳をしたり、無力な人物を演じたりしてはいけない。


 自分を被害者とみなすのではなく、適切な解決策を探すのだ″



 


 ・・・私は
大人になっても
大人になり切っていなかったのかもしれない。

いわゆる「アダルト チルドレン」


でも、そこからさえも
自分の意志で脱出できるのだろう。



 考えてみれば、父自身が「アダルト チルドレン」だったような気もする。

認知症が進んで
家族に下の世話までしてもらわなければならなくなった父は
もう、「おとな」ではなくなっている。

周りのことを思いやる余裕などどこにもなく
ただ、自分の痛みと、不安にさいなまされ
食べることだけに執着を持って生きている。



 そんな父を世話しながら
私はだんだんと父を恨んだり、憎んだりする気持ちをなくしてきた。

むしろ、日がな一日、痛みに耐えなければならない彼を気の毒に思うようになっている。


意識的には父を許せないでいた私が
気づけば
父に同情し、父の下の世話までしているのだ。

そうして
いつのまにか
「許す」ことをしようとしている。




 もしかしたら私の今生の目的は「許し、愛する」ということ?

父は私のためにずっと「汚れ役」を担ってきた?

・・・もちろん本人もそんなことを意識的にしたわけではなく
あくまでも「ソウル」の段階での話だけれど。


おかげで、
父に傷つけられ、恨み、憎み
そして「許す」という
最も大変で、最も美しい行為を
一生を通して体験させてもらってきたのかもしれない。


もし彼が、コロリと逝ってしまっていたなら
きっと私は彼を許せないままにいるだろう。
そして
ずっとその重荷を背負って生きなければならなかっただろう。





〝誰かを許さないままであったことを、死ぬ瞬間にあなたは後悔しないだろうか″



何かで読んだこの言葉も
私の中でいつもリンクしている。