自分を知ることこそ幸せへの近道。
けれど、知っているつもりで知らないのが自分自身。
みんな本当の自分に目覚めるのを怖がっている。
先日のフランス料理でいただいたお野菜全種類
それぞれに美しくてキュート
どれが一番なんて言えません。
お味だってそれぞれです。
ただ、人によって好みがあるだけのこと。
人間関係も同じなのでしょうね。
選ばれなかったからって劣っているわけではないんですもの。
今日の私。
ちょっと、嫉妬のほむらにさいなまされた。
お相手は大好きで、尊敬していた我が師匠。
もちろんご本人にそんなつもりは露ほどもないのでしょうけれど。
きっかけは些細な事。
嫉妬心を起こすほどのことではないはず。
しかし、確かに、私の中には穏やかならぬもやもやが沸き起こっていた。
彼女は時々、私をこういう感情へと誘い込む。
それが彼女の意図したものではなく、私自身に問題があるのだということはわかっている。
人はだれかに傷つけられるのではない。
傷付くことを選んでいるのは他ならぬ自分自身なのだ。
自分の中にそれに反応する思いがあるからこそ嫉妬もするし、傷ついたりもするのだ。
だとすれば
私の中にある「その思い」とはいったい何なのか。
「その思い」を知り、
「その思い」を癒してこそ
それに反応しなくなり、
嫉妬や傷付くことをしなくて済むようになるのだという。
そして「その思い」に気づくためには
自分の感情を「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と
問い詰めていくという手法がある。
でやってみた。
「なぜもやもやしてるの?」→ こんな素敵なことをするのに私をメンバーに入れてくださらなかった。
「なぜ、メンバーに入れてほしいの?」 → メンバーにするほどじゃない、という位置づけが悔しい。
「なぜ、その位置付けじゃないと嫌なの?」 → 一目置かれていない、ないがしろにされている、って感じる。
→ 「大切な人」として存在したい → 大切にされたい → 大切にしてほしい
→ 彼女の中で欠かせない人でありたい
・・・・・そうか、
私は大切にされたいし、欠くべからざる人でありたかったんだ。
ではでは、
もっともっと
私自身が私自身を大切にしてあげましょう。
それにね、だれかの「欠かせない人」にならなくても
私自身にとっては絶対に必要な人だからね。
別に彼女にそんな位置づけをしてもらわなくてもいいのよ。
あなたはすでにとても大切で欠かせない人なんですからね。
こんな独り言のワークをしてみた。
大好きで尊敬する彼女に私はいつも認められたかったのだ。
いつも彼女のお弟子さんの中の一番でいたかったのだ。
けれど、そんなことはあり得るはずもなく
彼女は平然と私の位置づけを落としていった。
それをしていることに気づきもしないで・・・・・
そのことに私は傷付き、落ち込み、悩み、逃げ出した。
そういうスパイラルに巻き込まれたくなくて彼女の渦から一抜けた。
だのにひょんなことで再びかかわってしまい
ほんのちょっとの間にまた同じ感情を味わってしまったのだ。
つまりは
いまだ私は私自身を癒せていないということ。
自分で自分の価値を絶対的なものにし切れていないということ。
はてさて、
どんなふうに大切にしてあげましょうか。
何をしてあげたら癒されるのでしょうか?
何世代にも渡ってくくられた私の意識。
解き放つにはまだしばらくはかかりそうですね。
けれど、知っているつもりで知らないのが自分自身。
みんな本当の自分に目覚めるのを怖がっている。
先日のフランス料理でいただいたお野菜全種類
それぞれに美しくてキュート
どれが一番なんて言えません。
お味だってそれぞれです。
ただ、人によって好みがあるだけのこと。
人間関係も同じなのでしょうね。
選ばれなかったからって劣っているわけではないんですもの。
今日の私。
ちょっと、嫉妬のほむらにさいなまされた。
お相手は大好きで、尊敬していた我が師匠。
もちろんご本人にそんなつもりは露ほどもないのでしょうけれど。
きっかけは些細な事。
嫉妬心を起こすほどのことではないはず。
しかし、確かに、私の中には穏やかならぬもやもやが沸き起こっていた。
彼女は時々、私をこういう感情へと誘い込む。
それが彼女の意図したものではなく、私自身に問題があるのだということはわかっている。
人はだれかに傷つけられるのではない。
傷付くことを選んでいるのは他ならぬ自分自身なのだ。
自分の中にそれに反応する思いがあるからこそ嫉妬もするし、傷ついたりもするのだ。
だとすれば
私の中にある「その思い」とはいったい何なのか。
「その思い」を知り、
「その思い」を癒してこそ
それに反応しなくなり、
嫉妬や傷付くことをしなくて済むようになるのだという。
そして「その思い」に気づくためには
自分の感情を「なぜ?」「なぜ?」「なぜ?」と
問い詰めていくという手法がある。
でやってみた。
「なぜもやもやしてるの?」→ こんな素敵なことをするのに私をメンバーに入れてくださらなかった。
「なぜ、メンバーに入れてほしいの?」 → メンバーにするほどじゃない、という位置づけが悔しい。
「なぜ、その位置付けじゃないと嫌なの?」 → 一目置かれていない、ないがしろにされている、って感じる。
→ 「大切な人」として存在したい → 大切にされたい → 大切にしてほしい
→ 彼女の中で欠かせない人でありたい
・・・・・そうか、
私は大切にされたいし、欠くべからざる人でありたかったんだ。
ではでは、
もっともっと
私自身が私自身を大切にしてあげましょう。
それにね、だれかの「欠かせない人」にならなくても
私自身にとっては絶対に必要な人だからね。
別に彼女にそんな位置づけをしてもらわなくてもいいのよ。
あなたはすでにとても大切で欠かせない人なんですからね。
こんな独り言のワークをしてみた。
大好きで尊敬する彼女に私はいつも認められたかったのだ。
いつも彼女のお弟子さんの中の一番でいたかったのだ。
けれど、そんなことはあり得るはずもなく
彼女は平然と私の位置づけを落としていった。
それをしていることに気づきもしないで・・・・・
そのことに私は傷付き、落ち込み、悩み、逃げ出した。
そういうスパイラルに巻き込まれたくなくて彼女の渦から一抜けた。
だのにひょんなことで再びかかわってしまい
ほんのちょっとの間にまた同じ感情を味わってしまったのだ。
つまりは
いまだ私は私自身を癒せていないということ。
自分で自分の価値を絶対的なものにし切れていないということ。
はてさて、
どんなふうに大切にしてあげましょうか。
何をしてあげたら癒されるのでしょうか?
何世代にも渡ってくくられた私の意識。
解き放つにはまだしばらくはかかりそうですね。
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