幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

たかがおむすび、されどおむすび

2009年10月08日 15時10分58秒 | 暮らし
 新米になると、つくづく日本人でよかったなぁと思います。ま、食いしん坊の私は何かと日本人でよかったなぁと感謝する機会が多いのですが、炊き立ての白いご飯を頂く時には、とりわけそう思わずにはいられないのです。

 お米の力と味がしっかりと噛みしめられる玄米も好きですし、胚芽米や分搗き米も大好きです。けれど、やはり新米ともなれば、なんといっても炊きたてホカホカの銀シャリを暫くは愉しみたいのです。

 お釜の蓋を開けた時、ふわぁっと立ち上る湯気と香りのまにまに、ピッカピカに光って立っているご飯たち!!蟹の穴なんかできちゃって、「どうだうまいぞ~~~~」と小躍りしてる!!そんな愛しいご飯たちに毎日会える私って、な~~~~んて幸せなんでしょう・・・と心底思います。
 日本が平和でありがとう
食べ物が今日もあってくれてありがとう
それを頂ける健康な身体であってくれてありがとう
・・・です

 そんな美味しい新米の炊き立てご飯の残りを、昨夜は台風に備えておむすびにしました。もちろん手塩です。(ご存知とは思いますが本物の塩はご飯が冷めるときにジワッと中へ溶け込みます。これが、塩化ナトリウム塩だとそうは行かないので、ご飯に混ぜ込まなければなりません。)
 ちゃんと心を込めて、「おにぎり」ではなく「おむすび」にしました。

 おむすびは「むすび=結び=産霊」なのです。
「産霊」とは天地万物を生み出す神の御力、霊妙なる神霊のこと、そして、握る人を通してお米と人とを結ぶのです。しかも、ピラミッドと同じ三角錐のかたちに結ぶことによって、宇宙のパワーを取り入れるのです。
ですから俵型のは「おむすび」ではなく「おにぎり」なのです。そして、素手で握ってこそ、愛と光のパワーを、より確かに入れ込むことができるのです。しかも、塩のパワーもいただきながら・・・。

 と、ここまでは、随分以前に仕入れた知識。
最近、深田剛史の「弥栄三次元」を読み直して、おむすびについて、新たに感動した一節がありますので、それをご紹介いたしましょう。

「うちはね、たくさんの人が来てくれるから、いちいち一人一人に合わせて調理するわけには行かないでしょ。だから、せめておむすびぐらいはその人の顔を見て握るようにしてるの。たくさん食べたそうな人には少し量を多めに握ったり、からだが冷えてるなって思う人にはギュッてきつく握ったものを出すの」
「えー、どうして冷えている人には強く握るんですか」
「圧力をかけることによって”陽”のエネルギーにするのよ。からだを温めるためにね。」
「へー。すごい」
「けどね、たとえからだが冷えてるなって感じても心が悲しみに包まれてるような人にはそっとやさしく握ったりするのよ」
 言納(ことの・・・主人公の名前)にとっては目からウロコだ。
「基本的には胡麻塩で食べてもらうんだけど、人によっては梅干を入れたり昆布にしたり。とにかくおむすびだけは一人一人の顔を見ながら握るの。」
 長野の麻理も同じようなことを言っていた。愛情込めて作るにはそれが基本なのだろう。
                      弥栄三次元 P.111 より


 おむすび・・・ここまでできれば、りっぱです。
神霊と人の愛との結晶の偉大なるエネルギーのかたまり。
 おむすび・・・人の心と身体を癒すことのでき得る至宝。

 はてさて、夕べの私のおむすびやいかに?????