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吉野の御仏供杉(おぼけすぎ)

2013年09月22日 | インポート
先週に続いて今週も三連休です、先週の三連休の時に台風18号の襲来で河川の氾濫や突風、竜巻で被害に遭われら地方の方々にお見舞いを申し上げます、またお亡くなりになられた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。

金沢より白山麓に向かって国道157号線を進み、河内町を過ぎて下吉野交差点の左側に吉野工芸の里があります。
ここは陶芸や、木彫、和紙、木工、ガラスなどの10数名の作家がここを拠点として活躍しています。
この公園の片隅に御佛供杉(おぼけすぎ)と呼ばれている杉の巨木があります。
日本名木百選に選ばれ国指定の天然記念物で樹齢が680余年、目廻り(地上1.3mの円周)が7.6m、樹高が19m有ります。
この杉の木が枝を何本も大きく広げている姿は圧巻です、遠くから見ると杉林と思えるような一本の巨木です。

御佛供杉(おぼけすぎ)の名は仏に備える仏飯を盛った形からそう呼ばれているそうですが、おぶくすぎとも呼ばれています。
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この杉は鎌倉時代後期から南北朝時代の初期に吉野の地に祇蛇寺を創建した大智禅師に由来します。
大智禅師(正応3年1290~貞冶5年1367)は肥後の国長崎に生誕し、幼少の頃に仏門に入り、元の国(今の中国)に渡って修行していますが、正中元年(1324)の帰朝して翌年に吉野の山中に祇蛇寺を開山しています。
元徳2年(1330)に大智禅師は故郷肥後の菊池氏から帰依を受けて肥後に帰りました、肥後に帰ってから菊池一族の心のよりどころの廣福寺を創建しています。
この地を去るときに山中の寺からたずさえてきた杉の杖を地面に刺しました、その杉が御佛供杉になったと伝えられています、枝が横の伸びてから上に立ちあがっています、倒さ杉(さかさすぎ)とも呼ばれています。
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ここを去るときに大智禅師は「この杖が根付いて繁茂すれば仏法盛んなるべし」と言い残して村人に別れを告げられた、以来村人は仏の木として大切に育ててきました。
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※おまけ
御佛供杉の傍の公園には1991年の石川国体の時使用された炬火台の実物が展示されています、この工芸の里に拠点をおく陶芸家の松本佐一氏が製作した作品です、能登半島で発掘された縄文土器をかたどっています。
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