出張最終日のムンバイは車中から撮った写真を中心に。「ムンバイ」とは、95年に植民地時代の呼び名であった、よりポピュラーだった「ボンベイ」という名前から変更したものとか。
宿泊した空港傍のホテルの傍らには所狭しとスラムが。現地駐在の話ではムンバイは世界最大のスラム人口を擁する都市で、その数は国連推計では500万人に上るとかで、なるほど街の至るところにスラムが見られる。ときより信号待ちの車の窓を子供たちが叩いてくる(デリーではなかった)こともあり、わかっちゃいても胸が締め付けられる。
湾岸道路沿いから見えたムンバイの摩天楼。暗くなってからは更に綺麗だった。残念ながら、少なくとも東京や関東ではこんな風に、ある程度長い海岸線沿いの摩天楼っつーのは見られないので新鮮。なるほどインド最大の都市というのも納得。さしづめデリーが北京、ムンバイが上海と言ったとこかなと。
ムンバイの街を闊歩するタクシーはみんなこんな感じ。なかなか粋だ。しかし夕方の市内の交通渋滞はハンパない。
”Gateway of India”、旅行会社のひとがくれたパンフによれば「英国王ジョージ5世とメリー王妃の来印を記念して1911年に建てられた高さ26mの門。湾を望む埠頭にあり、観光客で賑わっている」そうだw インド人ドライバーによれば、彼ら的には独立時にイギリス人がここを通って帰っていったので独立のシンボルみたいな意味もあるとか。
そのGateway of Indiaの傍らにあった何かレトロなホテル。後で地図をみた感じだとタージマハル・インターコンチネンタルホテルってやつ?
この後夜行便に乗るために空港に向かう。普段は余り言葉を交わさない上司といろいろ話しながらの道中、ドイツ駐在暦のある上司が「僕はサッカーには興味がなかったが、ブンデスリーガは面白くてよく見に行ってたよ。Jリーグはつまらなくて見に行く気にならないねぇ。」とこっちがウィアーとも知らず無邪気にほざきやがる。カチーンときて小一時間説教してやろうかと思ったが、出張のしめくくりにそれじゃああんまりにも大人気ないので自制。それでもその後10分近く車中に沈黙が続いたわけだが(十分大人気ねえか・・・)。
宿泊した空港傍のホテルの傍らには所狭しとスラムが。現地駐在の話ではムンバイは世界最大のスラム人口を擁する都市で、その数は国連推計では500万人に上るとかで、なるほど街の至るところにスラムが見られる。ときより信号待ちの車の窓を子供たちが叩いてくる(デリーではなかった)こともあり、わかっちゃいても胸が締め付けられる。
湾岸道路沿いから見えたムンバイの摩天楼。暗くなってからは更に綺麗だった。残念ながら、少なくとも東京や関東ではこんな風に、ある程度長い海岸線沿いの摩天楼っつーのは見られないので新鮮。なるほどインド最大の都市というのも納得。さしづめデリーが北京、ムンバイが上海と言ったとこかなと。
ムンバイの街を闊歩するタクシーはみんなこんな感じ。なかなか粋だ。しかし夕方の市内の交通渋滞はハンパない。
”Gateway of India”、旅行会社のひとがくれたパンフによれば「英国王ジョージ5世とメリー王妃の来印を記念して1911年に建てられた高さ26mの門。湾を望む埠頭にあり、観光客で賑わっている」そうだw インド人ドライバーによれば、彼ら的には独立時にイギリス人がここを通って帰っていったので独立のシンボルみたいな意味もあるとか。
そのGateway of Indiaの傍らにあった何かレトロなホテル。後で地図をみた感じだとタージマハル・インターコンチネンタルホテルってやつ?
この後夜行便に乗るために空港に向かう。普段は余り言葉を交わさない上司といろいろ話しながらの道中、ドイツ駐在暦のある上司が「僕はサッカーには興味がなかったが、ブンデスリーガは面白くてよく見に行ってたよ。Jリーグはつまらなくて見に行く気にならないねぇ。」とこっちがウィアーとも知らず無邪気にほざきやがる。カチーンときて小一時間説教してやろうかと思ったが、出張のしめくくりにそれじゃああんまりにも大人気ないので自制。それでもその後10分近く車中に沈黙が続いたわけだが(十分大人気ねえか・・・)。
最近は恋愛相談の掲示板にいてて
なかなかこちらに、顔だせなかたネー。
また癌癌書いていくんで夜露死苦。
さて慈英がつまらんいうてる上司
私なら説教安堵、蠍固めアルヨー!!
(確かに文出酢も面白いアルヨ)
この上司仕事でも腹立つことが多いのですが、余計にポイント下がりましたw
自分もブンデスは最近良く見てますがねぇ