赤い彷徨 part II

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こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

出張の合間の京都紀行(4)

2019-02-03 03:25:24 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回からのつづき)

伏見稲荷大社の参拝ということで、外国人観光客でごった返す千本鳥居よりもむしろいわゆる「おやま巡り」に足を伸ばしたかったのですが、出張の合間で時間も限られ、しかもスーツに革靴という井出達のため奥社奉拝所までも行かずにあえなく退却となりました。「別世界」などと形容される奥院にはいつか必ず訪れてみたいと思っています。



まあしかし、ここに限らず京都全体の問題なのでしょうが、外国人の方々を中心に数多の観光客でごった返している状況でした。ですので、時間帯をしっかり選んだ上で、かつ、おやま巡りの所用時間が2時間ほどとされていることもふまえると、十分な時間的余裕をもった上で、かつ運動に適した服装であらためて来る必要がありそうですね。そういうわけで若干の心残りはありつつも伏見稲荷大社を後にして、京阪の京都方面行に乗ります。



次の訪問先は「御寺(みてら)」とも呼ばれる泉涌寺(せんにゅうじ)で、京阪の東福寺駅で下車します。駅から徒歩だと15分かかるということで、タクシーを利用して一気に大門前まで。皇室の菩提寺であることが御寺と呼ばれる所以ですが、こちらも弘法大師空海と縁があるようで、平安時代に空海がこの地の草庵を結び法輪寺としたのが起こりともされ、その後鎌倉時代に月輪大師(がちりんだいし)が大伽藍を造営して中興を果たしたと言われています。



大門から参道を下ったところには仏殿が見えます。個人的な印象ですが、こうした施設は門を潜って見上げる形が多いであろうところ、参道を「下った」ところにあるというのは珍しい気がしました。現存する仏殿の建物は江戸時代に4代将軍家綱公により再建されたものになるようです。仏殿の内部は見学できるようになっており、そこでボランティアでご説明下さるご婦人に少し水を向けたところ、孝明天皇については「長州による暗殺」と断言され、明治政府と同政府が発出した神仏分離令についてはかなり批判的でした。京都には都を荒らし御所に大砲を打ち込んだ長州がお嫌いの方も多いとも聞いたことがありますし、まあむべなるかなというところでしょう。



こちらは仏殿に向かう参道の右側にあった浴室。こちらも4代将軍家綱の治世のもので明治時代にこの場所に移築されたものであるようです。文字通り僧たちが身を清める場所として使われていた施設で、風呂は蒸し風呂方式になるとのことです。さすがに今は使われていないのでしょうね。



唐門の奥に見えるのが霊明殿で、こちらで歴代天皇のお位牌が安置されています。明治時代に火災で焼失して再建されたものですが、こちらに、仏教に帰依したのであろう天智天皇、光仁天皇から昭和天皇にまで至る歴代天皇+皇后の位牌があるというのは、国家鎮護のために大仏を建立してしまうくらい歴代天皇が「仏教徒」だったことをふまえてもなお、少々の驚きを禁じ得ないところです。



こちらは勅使門で、皇室の皆さんや天皇の勅使がお通りになる門ということになるようです。こちらも江戸時代天保年間に再建されたもので、奥には「お車寄せ」もあるようです。お「車」寄せといっても馬車用ということになるようですが。いわゆる菊の御紋も見られますね。




こちらが歴代天皇の陵墓にあたる月輪陵(つきのわのみささぎ)で、光格、そして上述の孝明という江戸時代最後の天皇までのお名前が、皇后、皇太后、親王なども含めて並んでおり、勝手に身の引き締まる思いでした。




そして帰路大門の傍らに唐突に「楊貴妃観音堂」なる建物を発見。世界3大美女などとも言われる楊貴妃の名がなぜ御寺に?とお思いましたが、開山の祖・月輪大師が中国での修業時に請来されたのがここにある楊貴妃観音像で、楊貴妃の夫である唐の玄宗皇帝が亡き楊貴妃の冥福を祈ってつくったと伝えられているものなのだそうです。そんなわけで巷では「日本一美しい観音像」とも言われているようで女性に人気、と言われていますが、私が行ったときはタイミングが悪かったのは自分含めおっさんが3人いるばかりでした(笑)




(おわり)

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