(前回からのつづき)
引き続き城内です。こちらの天守は大変小ぶりなものではありますが、先述のとおり全国に12あるいわゆる「現存天守」のひとつ。1666年に伊予宇和島藩2代藩主伊達宗利公が再建したものだそうです。
この伊予宇和島藩の初代藩主は仙台藩の伊達正宗公の長男秀宗公だったのですが、長男とはいえ側室の子であったため家督を継ぐことができず宇和島藩10万石の初代藩主となった、というのが概ねの経緯のようです。思わぬところに仙台との縁があるものですね。
動画でお見せしたいくらいの雲々の流れにしばし見とれていました。
この時ドラマティックに視界を横切ってくれた黒鳥は…カラス?ご覧のとおり宇和島の城下町?の街並みを一望することができます。
城内にあった「宇和島城下絵図屏風」ですが、元禄年間に描かれたもののようですが、いずれにせよこちらはレプリカとのこと。
急な階段は現存天守ならでは。登り甲斐があるというものです。
細君に気を使って後ろ髪を引かれながら天守を後にします。
伊達宗利公の娘は、真田信之が初代藩主となった松代藩の3代目である真田幸道公に嫁いだとのこと。それを聞いてまた少々感慨深い想いに浸っています。
(つづく)
引き続き城内です。こちらの天守は大変小ぶりなものではありますが、先述のとおり全国に12あるいわゆる「現存天守」のひとつ。1666年に伊予宇和島藩2代藩主伊達宗利公が再建したものだそうです。
この伊予宇和島藩の初代藩主は仙台藩の伊達正宗公の長男秀宗公だったのですが、長男とはいえ側室の子であったため家督を継ぐことができず宇和島藩10万石の初代藩主となった、というのが概ねの経緯のようです。思わぬところに仙台との縁があるものですね。
動画でお見せしたいくらいの雲々の流れにしばし見とれていました。
この時ドラマティックに視界を横切ってくれた黒鳥は…カラス?ご覧のとおり宇和島の城下町?の街並みを一望することができます。
城内にあった「宇和島城下絵図屏風」ですが、元禄年間に描かれたもののようですが、いずれにせよこちらはレプリカとのこと。
急な階段は現存天守ならでは。登り甲斐があるというものです。
細君に気を使って後ろ髪を引かれながら天守を後にします。
伊達宗利公の娘は、真田信之が初代藩主となった松代藩の3代目である真田幸道公に嫁いだとのこと。それを聞いてまた少々感慨深い想いに浸っています。
(つづく)
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