赤い彷徨 part II

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こんにちは、アジア王者です。↑お星さまが増えました。

出張の合間の京都紀行(3)

2019-01-27 01:21:18 | アウェイじゃないけどぶらり旅
前回からのつづき)

というわけで京都駅ほど近くの東寺をざっとめぐったのですが、こちらも本来の目的は東寺からやや東北に位置する石上神社(いそのかみじんじゃ)でした。ご覧のとおりこぢんまりとしたお社ですが、こちらは長らく東寺=真言宗の政所(まんどころ)、つまり政務や事務を司る阿刀(あと)家の屋敷があったとされる場所に鎮座しており、境内にある石上布留社(いそのかみふるしゃ)はその阿刀家の祭壇だったと言われています。そしてその阿刀家は空海こと弘法大師の母の実家ということになるようです。



下の能書きにあるとおり、空海の伯父にあたる人物がその阿刀家に婿に入り阿刀大足となり、以降明治維新直後に至るまで阿刀家が東寺執行家として政所を司っていました。今更説明不要の空海上人は唐留学から帰り真言密教を日本に広めた人物で、帰国後に空海が嵯峨天皇に託されたのが東寺でした。その東寺のそば、しかも東寺の「鬼門」という見方もある場所にあった政所が神社として現在に至るというのは、明治維新まで日本が神仏習合の国だった点にかんがみても俄かには理解しがたい部分があり興味を引かれるところです。



しかも、石上神社の境内にある波切不動堂は空海の「地盤の明王」とされる波切不動明王を祀っています。たとえ東寺、四国のいわゆるお遍路や本山の高野山にお参りしたとしてもこの明王様にお参りしなければご利益がいただけない、と真言宗のインサイダーの方々には常識なのかもしれませんが、私のようなアウトサイダーにとっては割と衝撃的なことがさらっと書かれてありました。機会があればもう少し勉強して再訪してみたいものです。



そして石上神社を後にして南海で向かったが、打って変わって超メジャー観光スポットの伏見稲荷大社へ。全国の稲荷神社の総本山ということになるのだと思いますが、最近では写真を見ればみんな一目でわかる「千本鳥居」がインスタ映えスポットとして大人気となり、ご覧のとおり外国人観光客の皆さんが殺到していますが、こちらも瀬織津姫スポットめぐりとして訪れたのだと思います。



日本書紀における記述によれば、第29代欽明天皇が夢で見た啓示のようなものを受けて山背国紀伊郡深草里に秦氏を見出し以降秦氏を厚遇したとされているそうです。これは500年代に秦の大津父が大蔵省に登用されたといわれる伝説ですが、この伏見稲荷大社は711年にその秦の大津父が狼同士の争いの仲裁をしたという稲荷山のところに鎮座したもの、ということになるようで、秦氏の祖先神を祀っているとされています。



他方、ネット上では、この711年という年が日本書紀の完成(720年)の直前ということで、記紀以降我が国の神話から消されたという説のある世織津姫を封印するためにこの大社が鎮座されたのではないか、という説もお見かけし、なかなか興味深いところですが、このあたりは半分オカルトになってくるのでしょう…(笑)また、空海上人と稲荷信仰との関係を指摘する説もあり、そちらもなかなか奥が深い話の様です。



(つづく)



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