(前回からのつづき)
スーツ姿のサラリーマンが夏場のまだ明るいうちから汗だくで丸亀城を回った記録の続きです。大手二の門をくぐって右手に高麗門「大手一の門」が聳えています。江戸時代の1670年、京極氏の時代に完成したものだそうです。
大手二の門をくぐると左手には山上に向かう「見返り坂」を見上げることができます。奥に見えるのはお土産も買えそうな観光案内所です。
その観光案内所を過ぎてさらに歩を進めるとこの「絶景」。一瞬「まえにそびえ しりえにさそう」という「箱根八里」の一フレーズが頭を過ったように感じました。夕方とはいえまだまだ暑い7月の15時台にオレは今からこの坂を上っていくのか、とあらためて自らの酔狂さを呪いました。
見返り坂の急な坂を上っていくと、この美しい曲線美を拝むことができます。平山城である丸亀城はまごうことなき石垣の名城といえましょうが、その圧倒的な石垣群の中でも特筆すべきもので惚れ惚れします。
視線を右に移してもそこには荒々しくも見事な石垣を見上げることができます。
こちらは愛媛・松山出身の歌人・高浜虚子の句碑があります。「稲むしろ 飯の山あり 昔今」は讃岐富士こと飯野山を仰ぎ見て読んだものだそうです。
「見返り坂」の由来は坂の傾斜が急で時折振り返りたくなるから、という実にわかりやすいものであるようですが、それを知らずに無意識に振り返るとご覧の絶景。我ながらなかなかの一枚ではないかと思っています。
ある程度上りきって一段落。高浜虚子が一句詠みたくなる気持ちもわかります。
(つづく)
スーツ姿のサラリーマンが夏場のまだ明るいうちから汗だくで丸亀城を回った記録の続きです。大手二の門をくぐって右手に高麗門「大手一の門」が聳えています。江戸時代の1670年、京極氏の時代に完成したものだそうです。
大手二の門をくぐると左手には山上に向かう「見返り坂」を見上げることができます。奥に見えるのはお土産も買えそうな観光案内所です。
その観光案内所を過ぎてさらに歩を進めるとこの「絶景」。一瞬「まえにそびえ しりえにさそう」という「箱根八里」の一フレーズが頭を過ったように感じました。夕方とはいえまだまだ暑い7月の15時台にオレは今からこの坂を上っていくのか、とあらためて自らの酔狂さを呪いました。
見返り坂の急な坂を上っていくと、この美しい曲線美を拝むことができます。平山城である丸亀城はまごうことなき石垣の名城といえましょうが、その圧倒的な石垣群の中でも特筆すべきもので惚れ惚れします。
視線を右に移してもそこには荒々しくも見事な石垣を見上げることができます。
こちらは愛媛・松山出身の歌人・高浜虚子の句碑があります。「稲むしろ 飯の山あり 昔今」は讃岐富士こと飯野山を仰ぎ見て読んだものだそうです。
「見返り坂」の由来は坂の傾斜が急で時折振り返りたくなるから、という実にわかりやすいものであるようですが、それを知らずに無意識に振り返るとご覧の絶景。我ながらなかなかの一枚ではないかと思っています。
ある程度上りきって一段落。高浜虚子が一句詠みたくなる気持ちもわかります。
(つづく)
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