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赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
 



秋田の旅・前回のつづき。

秋田の旅2日目はホテルをチェックアウトして秋田駅から歩いてすぐの千秋(せんしゅう)公園を散策。公園には秋田藩佐竹氏二十万石のお城・久保田城跡があり、春の桜とツツジ、初夏のハスが見所らしいが訪れたのが1月ゆえ当然ながら一面の銀世界なわけで。



道中、また帰ってからわかったところでは、久保田城は江戸時代に秋田藩を治めていた佐竹氏の居城で、1602年に時の当主・佐竹義宣が常陸から秋田地方へ国替えを命ぜられ(関が原で西軍寄りだったため)、いったん土崎湊城に入るものの、翌03年からここ久保田に新城を造り、翌々04年に移城したとか。大学受験は日本史受験だったのだが、このエリアについてはほとんど記憶しておらず、「信長の野望」の絵的に最上氏あたりが治めていたかななんて勝手に思っていたが、いやあ旅行は勉強になりますなぁ。


雪のため一部通行止めになっていたが、敷地内の神社に初詣のため来ていた地元のおっさんたちはズカズカ通過

またこの久保田城、天守閣がなく、その他城自体にはあまり、防備に重点を置いておらず、その代わりか城下町はすべて迷路にするなど、街全体が防御のために造られていたとされているらしい。実際現在の街中を歩いたところではあんまり迷路っぽい場所には会わなかったが。ちなみに矢留城、葛根城、また場所そのまま秋田城とか、いろいろ別称はあったようだ。


表門。この屋根から雪が落ちてくるから通行止めっつーことだったらしい

佐竹氏は関が原のときは西軍寄りだったものの戊辰戦争際は官軍を支持したらしく、そのためこの久保田城は破壊を免れたらしいのだが、明治時代の大火でほとんどの建造物が焼失してしまったとか。そういえば城内にあった神社(名前失念)も放火で一部焼失してしまったらしく改築中?みたいな感じだった。つくづく残念な話。


十二代藩主佐竹義堯像。JR深谷駅前にある渋沢栄一像もそうだが、この手の像って一般的に顔が妙にデカいがリアルにこんなデカかったのだろうか・・・

敷地内には「佐竹史料館」という実にこじんまりとした、佐竹氏関係の物品や資料を展示してある施設があった。佐竹氏は源氏の流れを汲む名家だったようで、芸術を嗜む者が多かったという歴代当主の作品には悉く「源 ・・(名前)」と記名されていた。その歴代当主のなかでも特に9代藩主・佐竹義和(よしまさ)が、秋田藩における「寛政の改革」を行ったこと、殖産興業や人材登用、藩校「明徳館」の設立、またその芸術的才能などにおいて一番評価されているようだった。



100円の入場料にしては、ちょっと歴史関係に興味がある程度ならそれなりに満足できる内容で、実にコストパフォーマンスのよい史料館だと思う。しかし結局江戸時代「前」の歴史はよくわからんかったのだが、まあ江戸時代以降この地を治めていた佐竹氏の居城なのだから無理もないか・・・。

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