FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)は、2013年6月14日(金)から7月10日(水)まで、FUJIFILM SQUARE 企画展「よみがえる不朽の名作 土門拳の『古寺巡礼』」を二部構成で開催する。土門拳の故郷、山形県酒田市には土門拳記念館があり、私は酒田の稽古の時に年に一、二度立ち寄るが、皆様はわざわざ酒田まで足を伸ばすのは経費も時間もかかるのでたいへんだ。かといって出版されている本に載っている沢山の土門拳の写真を見ても、やはり感動と興奮は起きないだろう。やはり写真も本物がよい。そんな土門拳ファンには見逃せない企画が東京であるという嬉しいニュースだ。写真は本物がよいことは土門拳自身が語っている。なにごとも本物が大事。写真も是非本物を見ていただきたい、というお薦めでもある。
なぜ土門に惹かれるのか?
それは土門拳が写真家でもあり名文家でもあるからだ。
写真もいいが、例えば「撮る」ことについて、土門氏は
色と形だけを出すだけが写真を「撮る」ことではない、眼で確かめ、心に刻んで初めて「撮った」と言える
と書いている。ここまで来るともうレベルが高くプロへの提言で、素人カメラマンの域を超える心意気だ。私の場合、撮ることに関しては、どうにもこうにも手も足も出ない状態であるが、「撮る」を「演じる」に置き換えて、どうにかして土門拳を真似たく、エキスを失敬して自分のものにしたい気持ちで一杯だ。
メモ魔だった土門の真似をして、父から
「そのメモやめろ、覚えろ!」
とまで怒られた私だが、それでも
「大事な父の教えと前置きして」メモしていた。メモ魔は続行している。
「報道カメラマンなら当然」
が口癖で酒席でも他人の話をメモした土門氏だが、それも真似して、「能楽師なら当然」と言って先輩のお話をメモしまくっている。とても大事な時は録音だ。今はICレコーダーを利用して文章に立ち上げている。
私は手に職を持ち、尚かつ書ける。そんな人間になりたい。そのためにいろいろ書く練習として演能レポートやブログの投稿などをしているが、きっかけはある方の言葉だ。
「観世寿夫という人は演じて、尚かつ書いた人。寿夫になれとは言わないが、演者が自分の心を文章にすることは演じることの妨げにはならない」
こうだ。
そして観世寿夫集を購入し読み、勉強した。しかし、寿夫氏のような文章が書ける訳がなく、困っていた時にであったのが、土門拳だ。写真を撮り、そして小さなメモから長文まで、その出版されている本の多いこと。それを読み、撮影者土門の心を読むと、撮られた写真をただ見るよりより興味が湧き、面白くなる。自分もそうなりたいと憧れがはじまった。本を読むときも、書かれた一文一文に赤線を引いたり、頁を折るという、あまりお薦め出来ない私の読み方ではあるが、今読み直すには至極便利。そこから読み直している。するとまた新たな感動がこみ上げてくる。
職がありながら書けるひと、観世寿夫、土門拳。最近では坂田信弘氏の「叱る力」も愛読している。そしてNO.1は世阿弥だ。戯曲も書けば、鋭い能楽論も展開する。あの世阿弥に? 真似たいという目標は高い方がいいだろう。たとえ無理でも。
文責 写真 粟谷明生
なぜ土門に惹かれるのか?
それは土門拳が写真家でもあり名文家でもあるからだ。
写真もいいが、例えば「撮る」ことについて、土門氏は
色と形だけを出すだけが写真を「撮る」ことではない、眼で確かめ、心に刻んで初めて「撮った」と言える
と書いている。ここまで来るともうレベルが高くプロへの提言で、素人カメラマンの域を超える心意気だ。私の場合、撮ることに関しては、どうにもこうにも手も足も出ない状態であるが、「撮る」を「演じる」に置き換えて、どうにかして土門拳を真似たく、エキスを失敬して自分のものにしたい気持ちで一杯だ。
メモ魔だった土門の真似をして、父から
「そのメモやめろ、覚えろ!」
とまで怒られた私だが、それでも
「大事な父の教えと前置きして」メモしていた。メモ魔は続行している。
「報道カメラマンなら当然」
が口癖で酒席でも他人の話をメモした土門氏だが、それも真似して、「能楽師なら当然」と言って先輩のお話をメモしまくっている。とても大事な時は録音だ。今はICレコーダーを利用して文章に立ち上げている。
私は手に職を持ち、尚かつ書ける。そんな人間になりたい。そのためにいろいろ書く練習として演能レポートやブログの投稿などをしているが、きっかけはある方の言葉だ。
「観世寿夫という人は演じて、尚かつ書いた人。寿夫になれとは言わないが、演者が自分の心を文章にすることは演じることの妨げにはならない」
こうだ。
そして観世寿夫集を購入し読み、勉強した。しかし、寿夫氏のような文章が書ける訳がなく、困っていた時にであったのが、土門拳だ。写真を撮り、そして小さなメモから長文まで、その出版されている本の多いこと。それを読み、撮影者土門の心を読むと、撮られた写真をただ見るよりより興味が湧き、面白くなる。自分もそうなりたいと憧れがはじまった。本を読むときも、書かれた一文一文に赤線を引いたり、頁を折るという、あまりお薦め出来ない私の読み方ではあるが、今読み直すには至極便利。そこから読み直している。するとまた新たな感動がこみ上げてくる。
職がありながら書けるひと、観世寿夫、土門拳。最近では坂田信弘氏の「叱る力」も愛読している。そしてNO.1は世阿弥だ。戯曲も書けば、鋭い能楽論も展開する。あの世阿弥に? 真似たいという目標は高い方がいいだろう。たとえ無理でも。
文責 写真 粟谷明生