『土門拳の古寺巡礼』が六本木の富士フイルムスクエアーにて、よみがえる不朽の名作「古寺巡礼」刊行50周年記念として催され、7月10日まで無料で見ることができる。東京近郊の方はこれを逃す手は無い。第一部「仏教文化の開花」は飛鳥から平安前期まで、第二部は「浄土と禅宗世界への憧れ」と、2回の入れ替えがあるので両方とも見て欲しい。私はこのたび、その第一部を見てきた。
いつも思うが、土門拳の写真には、ぬくもりというか、温かみを感じさせるものが多い。
風景写真からは四季と朝夕の時刻はもちろんのこと、空気、湿気や温度、風までも感じてしまうときがある。仏像は間近でしか見られない小さなものが見えたり、背景を黒一色にして浮かび上がらせ、肉眼では見落としてしまうところを親切に教えてくれる。
今回、神護寺の虚空蔵菩薩坐像の顔のアップに引きつけられた。まずその迫力たるやすごい。仏像さまにはたいへん失礼だが、実物を越えてしまうなにか、いや仏像の持っているエネルギーかもしれない、そうしておこう、それが画像から飛びだそうとしてくるのを感じる。私のような凡人はいくら実物、本物を見ても、申し訳ないが見落としてしまうことが多く、土門拳の写真はそこいらを補ってポイントを教えて見せてくれる。まるでガイドさんみたいだ。
さて、虚空蔵菩薩坐像の顔のアップの撮影の角度だ。眼はやや下向きだが、唇は真横に水平を保っている。この角度がなんともいい。絶妙な角度からの撮影だと、なんども見ては感心してしまう。お顔が生きているようだ。
よく能面のことを「能面のような顔」と評して、まるで表情がないかのように言われることがあるが、これは大きな間違い。能面には深い表情がある。もちろんそれは付ける人間の巧みな操作によって起こるのだが。能面だけ単体では無理なのである。
演者が能面を付けて、ちょうどよい中庸のところを「よいウケ」と言い、その態勢を維持して舞い、謡うのだ。中庸から少し顎を引いて、下を向くと「クモル」といい、悲しい表情になる。逆に上を向くと「テル」といい、笑みを浮かべたように見える。この程度調整がむずかしいのだが、ここで楽屋裏の情報を暴露しよう。
「テル」のか「クモル」のかを、演者の横から能面の眼を見て判断してもらっているシテ方がいるが、これはおかしい。左右の眼は向きを違えて打っていることがあるので、これでは正確なウケは判らない。能面のよいウケ、ポジションは真正面から見て簡単に判断出来るのだ。要は口元の横ラインが真っ直ぐに水平になるところがベストだ。そこに合わせて眼を打っている。打っている人間が言うのだから間違いない。どうだろう、楽屋裏の奥義をお教えした。
しかし、ここどまりではだめなのだ。ここからが最高奥義。ウケを見る人間は付ける人間の癖も計算して判断しなければならない。この役者は最近すぐに顎が上がるから・・・、この人は緊張すると顎を引いてしまうから・・・と計算して、舞台で丁度よいところになるようにしてあげる。
土門の写真から少しピントがずれたが、言いたいことは、仏像も能面も真正面を意識して作られている、そこを知って観たり、拝んだり、が良いようだということだ。
写真 文責 粟谷明生
いつも思うが、土門拳の写真には、ぬくもりというか、温かみを感じさせるものが多い。
風景写真からは四季と朝夕の時刻はもちろんのこと、空気、湿気や温度、風までも感じてしまうときがある。仏像は間近でしか見られない小さなものが見えたり、背景を黒一色にして浮かび上がらせ、肉眼では見落としてしまうところを親切に教えてくれる。
今回、神護寺の虚空蔵菩薩坐像の顔のアップに引きつけられた。まずその迫力たるやすごい。仏像さまにはたいへん失礼だが、実物を越えてしまうなにか、いや仏像の持っているエネルギーかもしれない、そうしておこう、それが画像から飛びだそうとしてくるのを感じる。私のような凡人はいくら実物、本物を見ても、申し訳ないが見落としてしまうことが多く、土門拳の写真はそこいらを補ってポイントを教えて見せてくれる。まるでガイドさんみたいだ。
さて、虚空蔵菩薩坐像の顔のアップの撮影の角度だ。眼はやや下向きだが、唇は真横に水平を保っている。この角度がなんともいい。絶妙な角度からの撮影だと、なんども見ては感心してしまう。お顔が生きているようだ。
よく能面のことを「能面のような顔」と評して、まるで表情がないかのように言われることがあるが、これは大きな間違い。能面には深い表情がある。もちろんそれは付ける人間の巧みな操作によって起こるのだが。能面だけ単体では無理なのである。
演者が能面を付けて、ちょうどよい中庸のところを「よいウケ」と言い、その態勢を維持して舞い、謡うのだ。中庸から少し顎を引いて、下を向くと「クモル」といい、悲しい表情になる。逆に上を向くと「テル」といい、笑みを浮かべたように見える。この程度調整がむずかしいのだが、ここで楽屋裏の情報を暴露しよう。
「テル」のか「クモル」のかを、演者の横から能面の眼を見て判断してもらっているシテ方がいるが、これはおかしい。左右の眼は向きを違えて打っていることがあるので、これでは正確なウケは判らない。能面のよいウケ、ポジションは真正面から見て簡単に判断出来るのだ。要は口元の横ラインが真っ直ぐに水平になるところがベストだ。そこに合わせて眼を打っている。打っている人間が言うのだから間違いない。どうだろう、楽屋裏の奥義をお教えした。
しかし、ここどまりではだめなのだ。ここからが最高奥義。ウケを見る人間は付ける人間の癖も計算して判断しなければならない。この役者は最近すぐに顎が上がるから・・・、この人は緊張すると顎を引いてしまうから・・・と計算して、舞台で丁度よいところになるようにしてあげる。
土門の写真から少しピントがずれたが、言いたいことは、仏像も能面も真正面を意識して作られている、そこを知って観たり、拝んだり、が良いようだということだ。
写真 文責 粟谷明生
数十年前のこちらの本を持っています。
個人的に、感動してコペ転の影響を受けました。
確かに正面の表情は大切ですね。カメラ目線というか、、、仰る通り!
ですが、最高奥義には同感できませんワ。
顔の幅のちがう人が自分のサイズに合った面を~、と言う我儘だはねすか?
仮定法過去で、土門さんが面を撮影していたら?
とか想像すると面白いですね。