能舞台の後ろにある板を「鏡板」といい、松の絵が描かれている。
どうしてあのような松になるのだろうか?
この松は舞台正面先にあると想像される「影向(ようごう)の松」が舞台側に写ったものとされている。影向とは神仏が姿を現すことで、影向の松は神仏が現れるときの依代(よりしろ)となるものだ。
奈良の春日若宮神社のお祭りの初日、田楽や猿楽などの芸能者が鳥居の傍らにある一本の松の前で芸を披露したが、その松こそが春日明神が影向するという、まさに「影向の松」なのだ。
というわけで、舞台後ろの板は影向の松が鏡に写ったと見立てることから「鏡板」と呼ばれるようになった。松は寿の字のような格好だが、鏡板の絵は鏡に写っているという想定だから、寿の字を逆さまにした形をしている。神仏に守られて能を舞うという舞台装置になっているのだ。
この話、室町時代の古い古いお話だと思うとそうではない。
能舞台に鏡板が付いたのは江戸時代になってからのことで、それ以前は吹き抜け舞台であった。一説には、松平氏である徳川幕府が意識して松にしたとの説もあるが、これは夢が無くてつまらない。やはり神が見ていると思った方が、いい。その方が神聖な気持ちになれる。少なくとも私はそう思っている。
写真 十四世喜多六平太記念能楽堂鏡板 喜多能楽堂ホームページより
喜多能楽堂ホームページはこちら
どうしてあのような松になるのだろうか?
この松は舞台正面先にあると想像される「影向(ようごう)の松」が舞台側に写ったものとされている。影向とは神仏が姿を現すことで、影向の松は神仏が現れるときの依代(よりしろ)となるものだ。
奈良の春日若宮神社のお祭りの初日、田楽や猿楽などの芸能者が鳥居の傍らにある一本の松の前で芸を披露したが、その松こそが春日明神が影向するという、まさに「影向の松」なのだ。
というわけで、舞台後ろの板は影向の松が鏡に写ったと見立てることから「鏡板」と呼ばれるようになった。松は寿の字のような格好だが、鏡板の絵は鏡に写っているという想定だから、寿の字を逆さまにした形をしている。神仏に守られて能を舞うという舞台装置になっているのだ。
この話、室町時代の古い古いお話だと思うとそうではない。
能舞台に鏡板が付いたのは江戸時代になってからのことで、それ以前は吹き抜け舞台であった。一説には、松平氏である徳川幕府が意識して松にしたとの説もあるが、これは夢が無くてつまらない。やはり神が見ていると思った方が、いい。その方が神聖な気持ちになれる。少なくとも私はそう思っている。
写真 十四世喜多六平太記念能楽堂鏡板 喜多能楽堂ホームページより
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またお能を楽しむ視点が増えました(^_^)。
ご質問に同僚の高林呻二さんがお答えして下さいました。
「しゃぐま」の毛と、一般的には言っています。
漢字は「赤熊」です。
白いしゃぐま、黒いしゃぐま、という風にも使いますが、正確には「白熊・はぐま」「黒熊・こくま」といいます。
字を見ていただいたらわかるように、もともとは色を表していたのですが、いつのまにか毛そのものを「しゃぐま」と言うように変わったみたいです。
動物としては「ヤク」の毛です。
中国からの輸入品です。禁輸になったという話しも聞きましたが確かなことはわかりません。
以上です。
呻二さん有難うございます。