昨日の能『梅枝』は普段と異なるところが多々あり
地謡を謡いながらも楽しめました。
喜多流では初の藁屋を出す演出でした。
シテは『黒塚』や『一角仙人』のように最初から
作物の藁屋に入っています。
旅僧(ワキ)の道行の後半に、
後見が引廻を下ろすと、冨士の妻(シテ)が下居して現れます。
ワキ座に立つ旅僧(ワキ)とシテとの問答があり
「はやこなたへと・・・」の地謡の初同で、
藁屋から出て、旅僧を自らの家に招き入れ、場面は家の中となります。
そこには亡き夫の形見、鞨鼓台に舞衣が付けられ
目付柱近くに置かれます。
女は昔語りを話しはじめ、旅僧に弔いを願い消えてしまいます。
(中入り)
後見が鞨鼓台の舞衣を外し、
台を正面先に移し、続いて藁屋も引っ込めて、
間語りとなります。
ワキの読経が、はじまるとシテは先ほどの舞衣を着し
鳥兜を被ってお経に引かれ登場します。
普通は立ったままワキとの問答ですが、
今回は正中で下居していました。
クセの前半を座ったままで演じ、上羽前で静に立ち、
後半はいつもの型通りでした。
地謡側から見ていると、珍しい光景だったので
面白く興味深く見れましたが、
正面席の方にははたしてどうでしたでしょうか・・・
「あ~~ 鞨鼓台が邪魔してシテの型が見づらかった!」
という声が聞こえてきそうですが・・・
いかがでしたか?
今回の『梅枝』は完成度が高い良い能だったと思います。
ただ~~
一点、楽の位取りに関しては課題、問題点があったようで
終了後、ワキの宝生 閑先生もご意見を述べられていました。
開演前、お囃子方から
「楽がむずかしいよ、どうやって運びを持っていくかが・・・」
とお悩みのお声が聞こえてきましたが、不安的中。
で~~~
本当にむずかしいのです。
実は私、以前『梅枝』を勤めた後に
「楽がゆっくり過ぎる!あれじゃ楽じゃない!」
と物凄く父に叱られたことがありました。
私としては~
『梅枝』は幽玄の世界で、
いつもの楽とは違うなにか・・・
梅枝独自の楽にしたい
そんな思い入れが深く、
しっとりとした楽を目指したかったのです。
思い入れが深すぎたのしょうか・・・・・
オコラレました。
現在物の『富士太鼓』とは雰囲気を変えて
哀愁をおびた、梅枝独特の世界、
そんな楽を演じたいのですが・・・・
それには乗り具合、スピード感が重要です。
いつもの手慣れたスルスル滑る感じのものではなく
キュット締まった感じにしたいのですが・・・。
でも、そのさじ加減が・・・・むずかしいです。
「言うは易く、行うは難し」です
終演後、友枝師はシテに
「楽をどのような気持ちで表現したかったの?
位取りというか・・・」
「はい、本来序の舞であるべきものを楽で表現する感じにしたいです。
昔の思いを・・・・、
ですからあまり楽しく舞うようなものではなくて・・・」
「そうね、亡き主人との楽しかった思い出を表現するか、
はたまた思い出に慕る感じね、両方あるよね、
ちょっと悲しい気持ちもあるよね・・その具合が問題だね~~」
これは私見です。
「楽」はたくさんの足拍子を連続して踏むのが特徴の舞です。
この足の動きがあまりにスロー、ゆっくりでは
どうも不気味に見えてしまいます。
今回も、不似合いだと見えたところが~~
二・三個所あったように思います。
「そうね~~無理して踏まなくてもいいのかもしれないな~」
という意見も後で出てきました。
正直、今回は、残念ながら
単に間延びしただけ、
になってしまったと思われます。
この楽を単に、ノリ(スピード)だけのコントロールだけで
表現しようとしても適わないみたいですね。
では、どうしたらいいの?
と言われても判らないのですが・・・・
楽というノリを保ちながら、
冨士の妻の心情を
ある時は悲しく、
ある時は惚気て、
と、もう少し起伏に富んだものが
演者と奏者で拮抗しながら演じられたら~~
これは私だけの考えです。
さて、ご覧になられた方々はいかがでしたでしょうか?
ご意見ありましたら、コメントをお待ちしております。
これから松山、そして広島へと
旅立ちます~~
地謡を謡いながらも楽しめました。
喜多流では初の藁屋を出す演出でした。
シテは『黒塚』や『一角仙人』のように最初から
作物の藁屋に入っています。
旅僧(ワキ)の道行の後半に、
後見が引廻を下ろすと、冨士の妻(シテ)が下居して現れます。
ワキ座に立つ旅僧(ワキ)とシテとの問答があり
「はやこなたへと・・・」の地謡の初同で、
藁屋から出て、旅僧を自らの家に招き入れ、場面は家の中となります。
そこには亡き夫の形見、鞨鼓台に舞衣が付けられ
目付柱近くに置かれます。
女は昔語りを話しはじめ、旅僧に弔いを願い消えてしまいます。
(中入り)
後見が鞨鼓台の舞衣を外し、
台を正面先に移し、続いて藁屋も引っ込めて、
間語りとなります。
ワキの読経が、はじまるとシテは先ほどの舞衣を着し
鳥兜を被ってお経に引かれ登場します。
普通は立ったままワキとの問答ですが、
今回は正中で下居していました。
クセの前半を座ったままで演じ、上羽前で静に立ち、
後半はいつもの型通りでした。
地謡側から見ていると、珍しい光景だったので
面白く興味深く見れましたが、
正面席の方にははたしてどうでしたでしょうか・・・
「あ~~ 鞨鼓台が邪魔してシテの型が見づらかった!」
という声が聞こえてきそうですが・・・
いかがでしたか?
今回の『梅枝』は完成度が高い良い能だったと思います。
ただ~~
一点、楽の位取りに関しては課題、問題点があったようで
終了後、ワキの宝生 閑先生もご意見を述べられていました。
開演前、お囃子方から
「楽がむずかしいよ、どうやって運びを持っていくかが・・・」
とお悩みのお声が聞こえてきましたが、不安的中。
で~~~
本当にむずかしいのです。
実は私、以前『梅枝』を勤めた後に
「楽がゆっくり過ぎる!あれじゃ楽じゃない!」
と物凄く父に叱られたことがありました。
私としては~
『梅枝』は幽玄の世界で、
いつもの楽とは違うなにか・・・
梅枝独自の楽にしたい
そんな思い入れが深く、
しっとりとした楽を目指したかったのです。
思い入れが深すぎたのしょうか・・・・・
オコラレました。
現在物の『富士太鼓』とは雰囲気を変えて
哀愁をおびた、梅枝独特の世界、
そんな楽を演じたいのですが・・・・
それには乗り具合、スピード感が重要です。
いつもの手慣れたスルスル滑る感じのものではなく
キュット締まった感じにしたいのですが・・・。
でも、そのさじ加減が・・・・むずかしいです。
「言うは易く、行うは難し」です
終演後、友枝師はシテに
「楽をどのような気持ちで表現したかったの?
位取りというか・・・」
「はい、本来序の舞であるべきものを楽で表現する感じにしたいです。
昔の思いを・・・・、
ですからあまり楽しく舞うようなものではなくて・・・」
「そうね、亡き主人との楽しかった思い出を表現するか、
はたまた思い出に慕る感じね、両方あるよね、
ちょっと悲しい気持ちもあるよね・・その具合が問題だね~~」
これは私見です。
「楽」はたくさんの足拍子を連続して踏むのが特徴の舞です。
この足の動きがあまりにスロー、ゆっくりでは
どうも不気味に見えてしまいます。
今回も、不似合いだと見えたところが~~
二・三個所あったように思います。
「そうね~~無理して踏まなくてもいいのかもしれないな~」
という意見も後で出てきました。
正直、今回は、残念ながら
単に間延びしただけ、
になってしまったと思われます。
この楽を単に、ノリ(スピード)だけのコントロールだけで
表現しようとしても適わないみたいですね。
では、どうしたらいいの?
と言われても判らないのですが・・・・
楽というノリを保ちながら、
冨士の妻の心情を
ある時は悲しく、
ある時は惚気て、
と、もう少し起伏に富んだものが
演者と奏者で拮抗しながら演じられたら~~
これは私だけの考えです。
さて、ご覧になられた方々はいかがでしたでしょうか?
ご意見ありましたら、コメントをお待ちしております。
これから松山、そして広島へと
旅立ちます~~
コメント有難うございました。
鞨鼓台が邪魔にならずに見えてよかったです。
面は「深井」です。
舞衣は銕仙会のを真似て15年前ぐらいに作ったものです。
確か~~
ご先代の観世銕之亟先生が「羽衣」を屋外でやられた時の写真が表紙になっている本がありましたね