大好き!本・花・旅

日ごろ読んだ本や花、旅について綴ります。

フィールドワークは楽しい

2008-11-18 06:12:05 | Weblog
歴教協のフィールドワークに参加した。今年は、「神通川流域の近現代史を辿る」だった。
江戸時代に「四万石用水」がひかれて多くの米が集獲され、近代には水力発電所が多く作られるなど、富山平野は神通川とともに発展してきました。そして、この地から多くの人が戦場に行き、イタイイタイ病に苦しむ人が出ることになったのです。
最初に、富山県電気発祥の地、大沢野塩発電所を見学した。水路発電所で、大久保用水と新保用水の合流地点だ。
縄文時代の人々が暮らし、江戸時代の人は、神通川から水を引き、この河岸段丘を緑豊かな大地として移り住んだのだろう。
次に、昭和の初めに起こった塩小作争議の碑を見学した。地主の横暴に対し、立ち上がった小作争議の碑が、心ある人々の力で立派に建立されていた。
次に、水辺プラザへ行った。高山線を望み、晴れた日には立山連峰も望める、カヌーやパークゴルフも楽しめる憩いの場だった。近くの小山から貝殻が多く発見されるというので、ここが古代では海だったのだ。
神通川にはさまれ、船運で栄えた中州の家々には、蔵が多いという。
四万石用水沿いにある、天明の飢饉の時に流れてきて行き倒れになった人の碑もあった。
大切に後世の人に伝えて欲しいと思った。
薄島発電所・成子発電所を見学し、戊辰戦争で亡くなった杉谷治助の墓を見学した。次に、真珠湾攻撃で17歳で亡くなった婦中町中島の武田友治の墓も見た。戦闘機に同乗し最後の一瞬を共にした3人の仲間の名前が載っていた。
昼食後、イタイイタイ病の治療に尽くした旧萩野病院跡を見た。草ぼうぼうの中に彼の立派なお墓があった。これも看板をつけ、後世に知らせてほしいものだ。
清流会館を見て、富山イノベーションへ行った。
北日本新聞の越中座のすぐ後ろにあり、駐車場が併設され、存亡がうわさされる鵜坂の駅は夜こわいなあと思われた。
ファボーレあたりの汚染田復元地には、復元の記念碑が建てられ、多くの住宅が建ち、速星中学は増えて8クラスだという。
羽根地区の最後の汚染田復元作業地を見た。この辺まで、富山空襲の焼夷弾が飛んできたという。そして、最近も不発弾が見つかっているという。
古代から現代のいぶきまで感じられる有意義なフィールドワークだった。
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