現役時代と違って、酒を飲むことがほぼゼロになった。晩酌の習慣はなかった。というより付き合い酒が多かった。それにひとり酒なら飲まなくてもよいのだ。
話題を変える。江戸では上方の酒(灘や伏見)を「下りもの」として重宝した。それで「下りもの」ではない酒を「くだりものでない」から転化して「くだらない」となった。
灘の酒には「灘の生一本」と称される純米酒の加盟銘柄があるようだ。大関、菊正宗、剣菱、櫻正宗、沢の鶴、道灌、日本盛、白鹿、白鶴の9銘柄である。東京にいた時分に辛口の「剣菱」をよく飲んだ。
伏見の酒もたくさん銘柄があるだろうが、黄桜、松竹梅、月桂冠が殊に知られていたと思う。
一般に灘・伏見の酒や協和発酵などの大手メーカーの酒を除いて「地酒」と呼ぶようだ。
しかし、東京では新潟の「越乃寒梅」を幻の酒として入手困難といわれたことがあった。また、料理の和の達人、道場六三郎の料理店ではもっぱら新潟の「八海山」を提供していた。これは旨かった。そうそう「久保田」も新潟か。これらも地酒かね。
かつては「下りもの」が流行りだったが、米どころの新潟の酒は「上がりもの」として重宝されていた感がある。