ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)

〈ゴマメのばーば〉の、日々訪れる想い・あれこれ

【とんでもない おとしもの】を

2013-09-20 07:57:31 | 日記
ベランダで洗濯物を干していたら、鼓笛隊の練習でしょうか、近くの小学校から、太鼓や、笛の音が聞えてきました。
風に乗って、先生の声なども交じっています。
ホイッスルの音も。
音だけで、運動場の様子が見えてくるようです。
私の心も安らかになります。
二年前の、この季節、子ども達の声は、ほとんど聞こえてこなかったのでした。

その頃の日記の一部です。
≪原発事故にかかる処理工程がスムースにいっている訳ではないが、一応は事故処理がなされているということで、事故当初の頃よりは、落ち着いた気分になっている。
状況に慣れてきたのかもしれない。
放射線は見えないし、匂いも無いから、不安に慣れてきたというよりも、不安の持続に疲れてきたとも言えよう。
不安の持続も、結構スタミナが必要なのだ。
ベランダからの山並みは、秋色をまといはじめた。
締め切られた小学校の窓を目にすると、涙が出てくる。
校庭に、元気な子どもたちの歓声が戻ってくるのは、いつになるのだろう。
運動会の始まりを告げる『ドーン タタタ ドーン』という花火の音が聞きたい。
青い空に「おーい」と呼びかけ、深呼吸がしたい。
『かなしみ』(谷川俊太郎の詩)が聴こえる。

【あの青い空の波の音が聞えるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい

透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった】

あの青い空の波の音が聞えるあたりに、私が落としてきたものは、『うかつ』さ、でした。
まさか、原発が事故を起こしたとしても、60キロ離れているこの地までは、放射線の被害が及ぶはずはない……という、「うかつ」で、無知な思い込みだったのです。
だから、過去の駅からではなく、これからは、二度と「うかつ」に生きてはいけないと、〈ゴマメのバーバ〉は、今日も、明日も、多分、また次の日も、思い続け、訴え続けようと心に決めたのです。
『原発 いらないよー!』と。

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『おがまいねぐ』

2013-09-19 08:24:10 | 日記
またまた、朝の連ドラ、『あまちゃん』の話で失礼します。
18日放映の一場面。
やや、たそがれ雰囲気のストーブさんと、アキの会話。
アキの言葉に拍手。
パチパチパチ。

≪……成長しねぇど、怠げでるみだいに、言われるべ。でもな、成長しなけりゃだめなのがって思うんだ。
人間だもの、ほっておいても成長するべ。背が伸びたり、太ったり、やせたり、オッパイでっかくなったりな。
それでも変わらねぇ、変わりたくねぇ部分もあると思うんだ。あまちゃんだって言われるかもしんねぇけど、それでもいい……≫

私は、この言葉を我が身に置きかえてみて、「そうだ、そうだ」と共鳴板を打ち鳴らしました。
社会的に好ましい老人となるためには、
[生活習慣病にならないように、『規則正しい食事を、適当な運動を』]
[認知症予防のために、『脳の活性化を』]
などと言われると、まっとうな助言だけに、言いにくいのですが、『おがまいねぐ』(夏ばっぱの言)といいたくなるのです。
76年生きてきました。
これからは、好きなものを食べ、楽しいことをしたいのです。
運動とか、サークル活動とかいわれると、仮病をつかうとか、逃げ出したくなってしまうのです。
でも、『高齢者の医療費がかさみます。医療保険制度が……』といわれると、「はい、はい」と小声にならざるを得ないのですけれど。
本心は、『おがまいねぐ』に願いたいのです。
高齢者としても、成長しねぇど、怠げでるみだいに言われるのは不本意です。
オッパイがでっかくなったりはしないけど、それでも変わらねぇ、変わりたくねぇ部分は、高齢者にだってあるのです。
死ぬまで、一人の人間ですから。

ところで、ユイちゃんのお父さんが立候補した市長選の投票に行ったアキちゃん。
「選挙は国民の義務だから」と言ったアキちゃんに、ひと言。
夏ばっぱに変わって〈ゴマメのばーば〉から、ひと言。

≪あのなー、アギ、選挙はな、〔義務〕というより、〔権利〕だ。
国民の、でーじ(大切)な権利なんだ。
忘れんでねえぞ。
おらぁが子どもの頃、戦争があってな、アメ横あだりにはな、空襲で、親・兄弟なくした浮浪児たちが、わんさと居たのよ。
服とは言えねぇワカメのようなボロまとって、生き残った弟か妹だべな、ややっこ(赤ん坊)うぶって、腹へらして、はだしで、ほっつき歩いてたんだ。
選挙は、でーじ(大切)な「権利」だ。いいが、『権利』だぞ。
『戦争』で揉めごと、なじょにかすっぺ……なんて、この国してなんね。
三陸の「海女カフェ」復興も、被災地や、これからの日本のあすた(明日)を決めるんにも、でーじ(大切)なことだ。
忘れんでねぇぞ、アギ。≫

〈ゴマメのばーば〉


コメント (3)
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【何事にも時があり】

2013-09-18 00:05:10 | 日記
朝、起きてみたら、真っ青な空が。
台風一過です。
あんなに乱れた雲、叩きつける雨、濁流。
そのあとに、自然はこんなにも穏やかな表情をみせてくれました。
〈梅もどき〉は、濃い朱色に染まり、まだ緑色だった柿の実は、うすい柿色をおびはじめました。
山並みも、すっきりと、秋の衣替えの準備に入った気配です。
ふと、旧約聖書のことばが、思い起こされました。

【コヘレトの言葉】第3章1~8節
1何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
2生まれる時、死ぬ時
植える時、植えたものを抜く時
3殺す時、癒す時
破壊する時、建てる時
4泣く時、笑う時
嘆く時、踊る時
5石を放つ時、石を集める時
抱擁の時、抱擁を遠ざける時
6求める時、失う時
保つ時、放つ時
7裂く時、縫う時
黙する時、語る時
8愛する時、憎む時
戦いの時、平和の時。

昨日は敬老の日でした。
孫たち二人が、和風レストランで、食事をごちそうしてくれました。
一流のレストランとはいえませんが、ばーばーにも、じーじーにも、三つ星のおもてなしでした。
孫の誕生から二十数年、いろいろな「時」にありがとう、を。

そして、〈ゴマメのばーばー〉 の祈りです。
放射能汚染の被害が無くなる「その時」が来ますように。
「原発事故修復に当たって下さっている方々の、「日々の時」の安全が保たれますように。
津波で失われた肉親、知人への悲しみが癒される「その時」が来ますように。
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♪♪ ンタッタ、タタタタ……

2013-09-17 08:23:38 | 日記
13日、NHK「509」スタジオから放映された【秋の夜長の あまちゃんライブ】(大友良英と仲間たち大音楽会)を、楽しく観ました。
「あまちゃん」大好き私は、毎日、ドラマを観ています。
三陸海岸の風景もバッチリだし、かわいらしい三陸鉄道も、グー。
「じぇ、じぇ、じぇ」もいいけど、夏ばっぱの、したたかなセリフも、◎印。
「来る者は拒まず、去る者は追わずだ」
あのしたたかな明るさに、私も明るい気分になれるのです。
だから、台所の後かたづけなどをする時、♪ ンッタッタ、タタタタ……と、オープニングテーマのメロディを、口ずさんだりしています。

8月24~25の二日間、『ただようまなびや文学の学校』という講座に出てみました。
詩人の吉増剛造さん、作家の川上弘美さん、大友良英さんも講師陣の一人でした。
詩人の吉増さんと、ミュージシャンの大友さんが、とても親しい関係に感じられたので、どのような接点の共有なのかしらん、などと考えたりもしました。

【秋の夜長の あまちゃんライブ】で、映されていた大友さんの白さが目立つ譜面を見て、吉増剛造さんとの接点というか、通じ合うモノが、ほんの少し判った気がしました。
『余白が、自由な演奏を生む』…大友良英さんの『言』です。
ここだな、と私は思いました。(間違っているかもしれませんが)

「原発 いらない!」「憲法九条を守れ!」
私は、今も、これからも、そう言い続けたいと思っています。
でも、時々、余白のない(心のゆとりともいえる)自分自身に陥ってしまいがちなのです。
『余白』。
余白って、とっても大事なことなのかもしれません。

大友さんは、「あまちゃん」の音楽を創る時、脚本を読んで、〈喜劇〉と捉えたとか(私の聞き違いでなければ)。
なるほど。
納得です。だから、共感でき、元気を貰えるのだと。
被災者を受難者のようにのみ捉えてしまい、「可哀そうな人たち、がんばってね」だけの声援は、ありがたくはあっても、少々気が重くなることも多いのです。
(現実は、厳しい困難のなかにあることは確かですが)

今、私は、大型台風が昼過ぎあたりに、やって来るらしいのに、
♪ ンタッタ、タタタタ……と口ずさんで、お茶碗を洗っています。

                             〈ゴマメのばーば〉

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【欠けたところや、足りないところが、まったくないこと。また、そのさま】

2013-09-16 08:54:08 | 日記
安倍首相は、IOC総会で、
『影響は、港湾内0.3平方キロメートルの範囲内で、完全にブロックされている』と言いきりました。
東電幹部は、
『今の状態はコントロールできていない』と発言。
政府は、外洋で放射性物質濃度が基準を下回っていることを根拠に、首相発言を是とするような見解を示しました。
政治の世界は、正常な日本語が、まかり通らないところなのでしょうか。

国語辞典には、「完全」とは、【欠けたところや、足りないところが、まったくないこと。必要な条件がすべてそろっていること。また、そのさま】と記述されています。
政府の見解は、まったく、私たちをバカにしたもの言いで不愉快です。

弁解や見解などは不要です。
国際舞台で約束した汚染水処理の安全対策に全力をあげて下さい。

震災がれきは、黒潮に乗って東に進み、北米大陸の西岸北部に到達しましたが、今、ゆっくりと南下して、北赤道海流に乗り、日本や台湾、フィリピンに向かっているそうです。
汚染水も、海水に希釈されながら、放射線の寿命が尽きるまで、消せない火・放射線の燃え尽きるまで、ながーい歳月、海をへ巡り、あるいは、留まり続けるのでしょう。

15日、放射能汚染水の貯蔵タンクを囲むせき内にたまっていた水が、あふれ出たそうです。台風接近に伴う大雨で、「あふれたのは雨水」としていますが、「東電発表」の信憑性を、まずは疑ってみるという習性が身についてしまった私です。
漏出した水に含まれる放射性物質の少ないことを願うばかりです。

台風の接近で大雨が降り、今日、在来線の電車が止まりました。
当たり前のことですが、安全なところで、『待って』いれば、自然災害は、かなり防げるんだぁ」と、我が家に戻り、妙に納得してしまいました。
『待つ』ことって、思ったより大切なことかもね。
〈ゴマメのばーば〉

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