golf130のクラシックお笑い原理主義

オッサンのしがない日常や妄想話とその日聴いた音楽。

モーツァルト「弦楽五重奏曲第5,6番」アマデウスSQ.

2010-08-25 23:11:58 | Weblog
いつもブログを書いていて思うのは、つくづく自分は日本語を知らないなあ、ということ。

出来るだけ誤字脱字や用法の誤りの無いよう気を付けているつもりですが、それでも後から読み返して間違いを見付けることもしばしば。

そして、誤字脱字や用法間違い以上に問題だなと思っているのが、特に下記の4つ。

1.語彙及び表現を知らない。
2.漢字の選択が分からない。
3.句点の打ち方が分からない。
4.語尾に悩む。

1.は、聴いたCDの感想などがいつも同じ様な表現になってしまうこと。もっと違った語彙や表現があるだろ!と思うのですが、それが出て来ない。

2.は、例えば、「わからない」と書く場合、あれっ?こういう場合は「分からない」それとも「解らない」、「判らない」?どれが適切なのかが「わからない」(笑)なんて事も。

3.はいつも必ず迷うところ。上記2.の例で言えば、「2.は」の後に句点が要るのか要らないのか?、「例えば」の後はどうなのか?等々、各文で必ず句点の打ち場所をどうしたら良いのか分からず困るほど。(この「分からない」もこれで良いのか?(笑))

4.は、同じような語尾が続いて文章が単調になるのを避けたい、と思っているのですが、気付くと、「…です。…です。…です。…」みたいになっている。

文章表現能力は、長年の読書量や作文量の蓄積に負うところ(所?処?、ここも迷いました(笑))が大きいのでしょうが、付け焼き刃的に漢字検定とかの勉強もしてみようか、とも思う昨今であります。

セシル・アロノヴィッツ(第2ヴィオラ)、アマデウス弦楽四重奏団(GRAMMOPHON盤)

ブックオフで調達した、モーツァルト弦楽五重奏曲全曲3枚組500円の未聴だった1枚。

前にも書きましたが、この曲集は従来アルバン・ベルク四重奏団による3、4番しか持っておらず(しかし曲、演奏とも大のお気に入り)、他の4曲も是非聴きたいと思っていた所に、この掘り出し物に遭遇しました。

従って、5番、6番とも聴くのは今日がたぶん初めて。

3番、4番が突出した名曲なのかもしれませんが、この2曲もなかなかの作品。

5番(K.593)は、なかなかスケール感のある音楽。チェロと他の楽器の対話の、深遠さとユーモアがない交ぜになったような第1楽章開始部もユニークだし、半音階的進行の第4楽章冒頭の主題など聴き所が多いです。

ちなみにこの録音では、第4楽章は1960年に発表されたオリジナルとされる半音階的進行のものと、18世紀当時あまりにこれが斬新過ぎ、モーツァルトの死後、もっと穏やかに書き替えられた従来バージョンの2つが収録されています。

現代の学説で、これにどのような判定が下されているかについての知識は持ち合わせていないのですが、聴き比べるとオリジナルとされる半音階的な方が面白いですね。

6番(K.614)は、モーツァルト死の年の作品の例に漏れず、平明ながらも透徹した音楽。

よく、「歳取ると子供に還る」と言われます。

35歳で逝ったモーツァルトに「歳取る」は相応しく無いけれど、この幼な児の純真さを思わせる音楽を聴いていたら、そんな言葉も思い出されました。

演奏は、ウィーン情緒漂う優美なものに思いますが、テクニック面でちょっと緩さを感じることも否めません。

アルバン・ベルクQ.か、寺神戸亮+クイケンQ.、或いはスーク+スメタナQ.辺りの録音が欲しくなりました。

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