人類学のススメ

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日本の人骨発見史6.広田遺跡(弥生時代):人工変形頭蓋

2014年01月05日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

 広田遺跡は、鹿児島県種子島の南種子町広田に所在します。この遺跡は、九州大学(当時)の人類学者の金関丈夫[1897-1983]と永井昌文[1924-2001]、農林水産講習所(当時)の考古学者の国分直一[1908-2005]等が調査しています。3次にわたる発掘調査で、弥生時代後期後半~古墳時代(3世紀から7世紀頃)の人骨153体が出土しました。人骨には、人工変形頭蓋が認められており、国内における貴重な事例です。本遺跡は、2008年に国史跡に指定されました。

 発掘調査は、以下のように、3次にわたり行われました。この後、2005年から2006年まで南種子町による追加調査が行われており、追加人骨も発見されています。

  • 第1次調査:1957年7月14日~同年8月2日
  • 第2次調査:1958年8月13日~同年9月13日
  • 第3次調査:1959年7月22日~同年8月28日

  出土人骨の報告は、調査から40年以上経過した2003年に『種子島 広田遺跡』として、広田遺跡学術調査研究会と鹿児島県立歴史資料センター黎明館により出版されました。この報告書以前には、調査に参加した金関丈夫による論考しかありませんでしたが、ようやく全貌が明らかになりました。ちなみに、金関丈夫(1975)によると、「額のまん中が丸く平たくなって、頭のふくらみがなくなっています。しかもこの頭骨の周囲には浅い溝があります。これは、この人が頭骨の完成しない若いときから、鉢巻きのようなものをしめ、その額のところに円板状のものをつけていたからだ、と考えられます。」と記載されています。

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写真1.金関丈夫が記載したDⅢ地区2号人骨出土状況[『広田遺跡』(2003)より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

 出土人骨の報告は、九州大学の中橋孝博により行われています。出土人骨の性別は、男性52体・女性42体・不明59体で、男性がやや多く認められます。また、153体の内、未成人は16体で、成人が137体と未成人が少ないことが目立ちました。身長は男性で約154cm・女性で約142.8cmと低身長集団であることが明らかになっています。

 頭蓋骨の特徴では、低顔性が著しく、同様に低眼窩・広鼻傾向も明らかになっています。また、鼻根部の陥凹は顕著であり、顔面の平坦度は弱く、東日本縄文時代人やアイヌに匹敵する立体的な顔貌を持つことも判明しました。その中でも、脳頭蓋は板でも当てたように後頭部が扁平に変形して頭長幅示数は全個体で80以上の過短頭であり、何らかの人工変形が行われたと推定されています。

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写真2.広田遺跡C-8号人骨出土状況[『広田遺跡』(2003)より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

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写真3.広田遺跡C-8号人骨前面観:低顔性・低眼窩・広鼻に注意[『広田遺跡』(2003)より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

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写真4.広田遺跡C-8号人骨左側面観:鼻根部の陥凹に注意[『広田遺跡』(2003)より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

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写真5.広田遺跡C-8号人骨上面観:上から見ると円く短頭であることに注意[『広田遺跡』(2003)より改変して引用](*画像をクリックすると、拡大します。)

 日本国内においては、まだ明らかに人工変形頭蓋と認められた事例は非常に少なく、島根県の古浦遺跡が金関丈夫により報告されています。その点で、広田遺跡出土人骨は貴重な事例となっています。

*広田遺跡出土人骨に関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 金関丈夫(1975)「種子島広田遺跡の文化」『発掘から推理する』、朝日選書、pp.94-115
  • 金関丈夫(1976)「着色と変形を伴う弥生前期人の頭蓋」『日本民族の起源』、法政大学出版局、pp.299-306
  • 中橋孝博(2003)「Ⅳ-2.鹿児島県種子島広田遺跡出土人骨の形質人類学的所見」『広田遺跡』、広田遺跡学術調査研究会・鹿児島県立歴史資料センター黎明館、pp.281-294

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