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日本の人骨発見史11.三貫地貝塚(縄文):福島県最大級の縄文時代人骨出土遺跡

2014年01月25日 | H4.世界の人類学者[Anthropologist of

 三貫地貝塚は、福島県相馬郡新地に所在します。この遺跡は、縄文時代後期から晩期の貝塚で、小規模な発掘と2度にわたる大規模な発掘調査で100体を超える縄文時代人骨が出土しました。

 大規模調査は、以下のように2度行われています。

  • 1952年3月26日~同年4月4日:日本考古学協会の縄文文化編年研究特別委員会が、甲野 勇[1901-1967]を調査責任者として実施
  • 1954年10月25日~同年10月31日:東京大学理学部人類学教室の鈴木 尚[1912-2004]を調査責任者として実施

 この発掘調査の全容は、調査から30年以上経過した1988年に、『三貫地貝塚』として福島県立博物館から出版されました。

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写真1.三貫地貝塚の発掘調査風景(1952年)[福島県立博物館(1988)『三貫地貝塚』より改変して引用]

 2回にわたる大規模発掘調査では、縄文時代人骨が約100体以上出土しましたが、その多くが合葬あるいは再埋葬であり、単体の埋葬は29体でした。残念ながら、発掘調査報告書が出版されるまでに30年以上経過しているために、資料が紛失したり別のラベルがつけられていたりと整理作業はかなりの困難を極めたそうです。

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写真2.三貫地貝塚の縄文時代人骨の出土状況(1952年)[福島県立博物館(1988)『三貫地貝塚』より改変して引用]

 報告書に記載されている人骨数は、以下の通りです。

◎1952年調査

  • 総数:36体
  • 性別:男性17体・女性17体・男性?1体・女性?1体
  • 死亡年齢:男性18体(若年3体・青年3体・壮年8体・熟年4体)・女性18体(青年2体・壮年12体・熟年4体)

◎1954年調査

  • 総数:37体
  • 性別:男性22体・女性11体・不明5体
  • 死亡年齢:男性22体(若年1体・青年2体・壮年13体・熟年1体・若年~壮年1体・青年~壮年1体・壮年~熟年1体・不明2体)・女性11体(若年1体・壮年6体・青年~壮年3体・不明1体)

 人骨の埋葬形態は屈葬が多いのですが、中には伸展葬・合葬・集積埋葬も認められています。人骨の形態は、頭蓋観察を鈴木隆雄(10例)・頭蓋計測を埴原和郎と内田亮子・歯を松村博文・頭骨の形態小変異を百々幸雄・四肢骨を馬場悠男(最大30例)・古病理学を鈴木隆雄・埋葬状態を埴原和郎が報告しています。

 頭蓋骨や歯の多変量解析による分析では、三貫地貝塚出土縄文時代人骨は、東北圏よりも関東圏や中部日本の縄文人ともかなり強い類似性を持つことが示唆されています。また、頭骨の形態小変異では、前頭縫合の出現率が高く、34.2%と約1/3にも達しており、東日本縄文人全体の11.1%と比べてもその特異性が明らかになっています。

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写真3.三貫地貝塚22号人骨出土状況(壮年男性)[福島県立博物館(1988)『三貫地貝塚』より改変して引用]

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写真4.三貫地貝塚22号人骨頭蓋骨前面観(壮年男性)[福島県立博物館(1988)『三貫地貝塚』より改変して引用]

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写真5.三貫地貝塚22号人骨右側面観(壮年男性)[福島県立博物館(1988)『三貫地貝塚』より改変して引用]

 この三貫地貝塚の発掘調査には、甲野 勇[1901-1967]・酒詰仲男[1902-1965]・吉田 格[1920-2006]・芹沢長介[1919-2006]・江坂輝彌・岡本 勇[1930-1997]・伊東信雄[1908-1987]等が発掘調査に参加しており、考古学及び人類学史上で著名な遺跡です。

*三貫地貝塚に関する資料として、以下の文献を参考にしました。

  • 福島県立博物館(1988)『三貫地貝塚』
  • 鈴木隆雄(1988)「第11章第1節.頭蓋・頭蓋観察」『三貫地貝塚』、福島県立博物館、pp.416-427
  • 埴原和郎・内田亮子(1988)「第11章第1節.頭蓋・頭蓋計測」『三貫地貝塚』、福島県立博物館、pp.427-434
  • 松村博文(1988)「第11章第1節.頭蓋・歯牙」『三貫地貝塚』、福島県立博物館、pp.434-438
  • 百々幸雄(1988)「第11章第1節.頭蓋・頭骨の形態小変異」『三貫地貝塚』、福島県立博物館、pp.439-443
  • 馬場悠男(1988)「第11章第2節.四肢骨」『三貫地貝塚』、福島県立博物館、pp.443-480
  • 鈴木隆雄(1988)「第11章第3節.古病理学的所見」『三貫地貝塚』、福島県立博物館、pp.481-492
  • 埴原和郎(1988)「第11章付編.埋葬状態」『三貫地貝塚』、福島県立博物館、pp.492-494
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