今日は一粒万倍日 . . . 本文を読む
チベット僧が最近拷問で殺されました。僧侶を殺すのは五逆罪で永遠に無間地獄に落ちます。中国の未来はありません。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiKt7HTr73uAhWRyYsBHQ_ . . . 本文を読む
チベット僧が最近拷問で殺されました。僧侶を殺すのは五逆罪で無間地獄に落ちます。中国の未来はありません。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwiKt7HTr73uAhWRyYsBHQ_wAk . . . 本文を読む
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・三代実録 / 貞観五年(863)正月廿七日庚寅条
「廿七日庚寅 御在所及び建礼門・朱雀門に於いて大祓の事を修す。 以って災疫を攘す也。京師の飢病尤も甚しき者に賑給す。 去年冬末より是月に至るまで 京城及畿内畿外 多くが咳逆を患ひ 死者甚だ衆し矣」(廿七日、御 . . . 本文を読む
今日は九条兼実出家の日です。以下ウキぺデアに依ります。「兼実は、建仁2年(1202年)正月27日、法然を戒師として出家、円証と号した。兼実は将来を嘱望されていた長男・良通が早世した心痛等から、法然に深く帰依するようになった。法然の著作『選択本願念仏集』は兼実の求めに応じて、法然が著したものである。」 . . . 本文を読む
清沢満之 『 宗教とは、有限な自已が無限の存在に自已を託そうとする営みにほかならない。その際、重要なことは、神仏といった超越者をまず想定して、その存在が明 らかになったとき、その神仏に自已を託すのではなく、まず自已のなかに、神仏を求めてやまない心の存在を自覚することが先だ・・』 (『清沢満之全集』) 『 私共は神仏が存在するが故に信ずるのではない。私共が神仏を信ずるが故に、私共に対して神仏が存 . . . 本文を読む
今日は初愛宕です。京都嵯峨の愛宕山頂にある愛宕神社では神社から「火廼要慎」と書かれたお護符と梱(しきみ)の枝をいただいて帰り親戚等に分けるといいます。御祭神愛宕権現はイザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする関係からいまでも24日のお地蔵様の日を初愛宕としていると思われます。 . . . 本文を読む
神社仏閣で読経するとき、その読経は神仏も周囲の眷属もさらにその周りの善霊・悪霊・先祖霊もその内容をきいています。従って読経には絶対の功徳があります。以下その例証をかきだしておきます。・「法華経陀羅尼品」には「(お経を)受持し、読誦し、義を解り、説の如く修行せば、功徳はなはだ多し」とあります。・「大無量寿経」には阿弥陀様の四十八願の第二十九願として、「得弁才智の願」があり、「たとひわれ仏 を得たらん . . . 本文を読む
四無量心観はあらゆる密教修法に出てきます。
結跏趺坐して弥陀定印を結び観ずるもので、要は自分の「三密加持力」により衆生を幸せにしようとするものです。
慈無量心観は「慈心を以て一切有情を縁じ彼等皆如来蔵を具するが故に我が修する三密加持力に依って彼らを悉く普賢菩薩に等しからしめ、不生常住の大楽を受けしめんと観じ、普賢菩薩のご真言を誦す。(テーラワンダ教会等では分かりやすく「すべての生きとし生け . . . 本文を読む
「父母はわが家の神、わが神と心つくしていつけ人の子」(本居宣長・玉鉾百首) この歌は、本居宣長が「父母は我が家の神さま、自分をお守りしてくださる神さまとして、心を尽くしておつかえしましょう」と詠んだものです。父母、祖父母、曽祖父母、高祖父母、五世の祖父母、六世の祖父母とたどっていき一番元までたどると皇別・神別と区別をしてみても所詮は天照大神とその臣下にいたることになります。この天照大神以来の流れの . . . 本文を読む
昨日痛ましいニュースがありました。子供にコロナを感染させたという理由で若い母親が自ら命を絶っています。昨日からやりきれない思いでいっぱいです。この福聚講はこうした不幸を少しでも避けるために、「どうしようもなくなった時は兎に角神仏を拝む」ということを弘めたくて始めています。しかし現実にこうして多くの方が亡くなっています。生き詰まってしまった人は神仏など拝む余裕はありません。そうなる前に日頃から神仏に . . . 本文を読む
「十善が本になって六波羅蜜(壇・戒・忍・進・禅・智)、四念処、四正勤、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道等も行ずることができる。なおすすみては仏の十力、四無為等の仏の万徳を円満することができる。・・今の人は結果があって原因がなく、原因があって結果がなくても何とも思はぬが仏教では原因あれば必ず結果あり、結果あれば必ず原因があるというのである。・・」釈雲照師「十善業道経講義」 . . . 本文を読む
「十善が本になって六波羅蜜(壇・戒・忍・進・禅・智)、四念処、四正勤、四如意足、五根、五力、七覚支、八正道等も行ずることができる。なおすすみては仏の十力、四無為等の仏の万徳を円満することができる。・・今の人は結果があって原因がなく、原因があって結果がなくても何とも思はぬが仏教では原因あれば必ず結果あり、結果あれば必ず原因があるというのである。・・」釈雲照師「十善業道経講義」 . . . 本文を読む
涅槃経には「法を護るためには武装することを許す。これは破戒とはならない」とあります。大般涅槃経・金剛身品第五「護法の優婆塞等、刀杖を執りて是の如きの持法比丘を擁護すべし。・・五戒を受けざるも為に正法を護る者は乃ち大乗と名く。正法を護る者、まさに刀剣器杖を執持して法師を侍衛すべし。・・若し諸の国主・大臣・長者・優婆塞等、護法の為の故に刀杖を持すると雖も、我説きてこれ等を名けて持戒となす。・・」 . . . 本文を読む