福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

四国八十八所の霊験・・・64

2018-12-02 | 四国八十八所の霊験

(68・69番の琴弾八幡宮)昔の札所琴弾八幡宮(ご本尊は阿弥陀様と応神天皇・神功皇后・玉依姫命)

4年前の区切り逆うちの時は1日目の午前中に観音寺駅に着きました。68,69番は何度もお参りしているので今回は最初のお参りを琴弾八幡宮に絞ったのです。いままでは68番に向かうときに八幡宮の下の鳥居の前で簡単に拝んで通り過ぎるだけでしたが今回は初めて石段を登ります。ここは約1千年前、文武帝のころ日証上人が宇佐八幡のお告げにより神功皇后ゆかりの神船を海より引き上げておまつりし開山、養老6(722)年には行基菩薩が巡錫、のち大同年間(806)、お大師様が第7代御住職のとき、ご本尊を聖観音とさだめ、諸尊像を安置し68番を琴弾宮、69番を観音寺と定めたといわれています。
真念「四国徧禮道指南」(二十余度の遍路の後、大師入定八百五十年の貞享四年1687年刊行)には「六十八番琴弾八幡宮・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」には「承応二年(1653)十月九日観音寺、本堂南向、本尊正観音、 大師の開基、桓武天皇の御願、大同年中の造営也、 寺は神恵寺六坊在り、 二町北の坂を上て琴引宮に至る、瑟引八幡宮、南向、本地阿弥陀如来、 大宝三年(癸卯)、豊前国宇佐ノ宮より此国に来臨し玉ふ、 海上にて瑟を弾し玉ふ、其音妙にして国の人々耳をすませり、 此所に権者と呼し人、此山に宮を作て安し奉しと也、 其後大師観音寺と云也 」とあります。
・鳥居の言葉
軽い気持ちですぐに本殿にたどり着くだろうと思って石段を登り始めたのですが、行けども行けども着きません。百段はあろうかとおもわれます。石段の両側は堆く落ち葉が積もっていていて長らく手入れされた形跡がありません。昔に戻って、お遍路さんが六十八,六十九番へのみちすがらで途中参拝するようになれば双方が助かるのにと複雑な心境になります。
途中に鳥居が何組も現れます。彫られている言葉がまた有難いのです。最初の鳥居には「国家安全、万民豊楽」とありました。私の遍路業の目的そのものが彫られてあったのです。だんだん登っていくと次々と鳥居が現れその都度深い言葉が彫られています。「孝道表千古、神徳照万年(孝道は千古を表し、神徳は万年を照らす)」「徳澤溢四海、威烈輝千載(徳は四海に溢れ、威烈は千載に輝く)」などです。まだたくさんの言葉がありましたが写す余裕がありませんでした。それにしてもいい言葉ばかりです。永い石段には落ち葉が積もっていて雨の影響で滑りそうでした。
・無人の本殿
本殿にやっと着いて見回しても寂れていて人の気配がありません。階に座り秘鍵と心経をあげました。社務所にもパンフレットが置いてあるだけで誰もいません。このような立派な由緒ある神社も普段はこんなに寂れているのかと思うと申し訳ない気持ちになります。改めて八十八所は昔の明治の廃仏毀釈以前に戻すべきと強く感じました。
ただ社務所に「新四国曼荼羅霊場」という、7つの神社と81の寺院による、88ヶ所の神仏一体の霊場会の案内がおいてあり若干心強く感じました。四国にもすこしずつ神仏一体の胎動が始まっているのかもしれません。
頼富本宏「四国遍路とはなにか」では「69番観音寺、旧68番琴弾八幡宮の別当寺院であった。「寂本・四国徧禮霊場記」には五所権現が確認される」とあります。

以前の遍路の時は67番大興寺からは遍路宿「おおひらや」のおかみさんが「すぐですよ」というので68番までは一時間位の つもりで歩きましたがいつまでたっても着きませんでした。 途中何度も道を間違えたと不安に思いましたが、人がいなくて、聞けませんでした。 数時間たってやっと着きました。よく考えると11kmあるのですからかかるのは当たり前です。物事油断してとりかかっては駄目だということでしょう。2回目は前回のことがあるので緊張して歩きました。しかし2回目も長く感じました。特に観音寺市街に入ってからが長いのです。2回目のときも市街で迷って道を聞きました。

68,69番へいくには財田川を渡って右にいくように遍路標識がありますが、琴弾八幡宮をお参りして裏手から展望台にいくと巨大な寛永通宝がよく見えます。琴弾公園の銭型をみてから行くほうがおすすめです。 これは家光の名代として丸亀藩主生駒高俊が視察にくるのを地元民が歓迎のためつくったものとされます。琴弾公園の展望台からは68番69番の裏山におりることができます。
春に回った時は、69番の大師堂でお遍路のお経や鈴の音、ひばりや燕の囀り、芳しい香煙を運んでくる春風や、藤や菜の花、タンポポなどの花々に囲まれふと芥川龍之介の「くもの糸」の一節「お釈迦様は極楽の蓮池のふちをひとりでぶらぶらお歩きになっていらっしゃいました。 池の中に咲いている蓮の花はみな玉のように真っ白で其の真ん中にある金色の芯からはなんともいえないよいにおいが絶え間なくあたりへあふれております。極楽は丁度昼なのでございましょう。」を思い出しました。

金剛界曼荼羅には仏が仏を供養するためいろいろな菩薩があらわれます。たとえば曼荼羅にあらわれる金剛焼香菩薩は「一切如来を供養し一切衆生の臭えなる煩悩を破し、適悦無礙なる香智を獲得する。」(分別聖位経)とされます。また金剛華菩薩は「一切如来に花の供養をなすことは、一切衆生の迷いを破し心の花を開き無染智を証す。」(同)とあります。このほか金剛鈴菩薩という菩薩などおおくの菩薩が相互供養のためあらわれます。

曼荼羅は我々もこの世も密厳浄土ですよと覚らせるためにあるのですがこのお遍路道中でこの世が曼荼羅世界そのものだと体感できました。


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