地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の13/13
十三、 雪佛利益の事
清和天皇の御宇貞観十七年(875年)二月中旬に大雪降りけるが白川の邊岡崎と申す所に童子ども集り居て雪を愛して居たりける中に十人ばかり力を合わせ雪を轉がし佛の形につくりて地蔵菩薩と申して花瓶香炉に至るまで雪を以て作りて供養をなす。其の中に十二三ばかりの小児を供養の導師として役者どもをもひおもひに勤めけり。小児の導師は高座にあがり、金打ち鳴らし意趣をのべて云く、抑々此の世尊を造る志は真にもって雪なり。これによりて六趣の街(ちまた)に雪地蔵をくはしく御誓のほどは春の日によりて長閑にとき申すべきと云へり。かやうの戯れとはいへども真あれば其の理には叶ひ侍る。さるほどに此童の導師生長の後に法師となりて並びなき説法の師とぞなりぬ。或時心地例ならず煩ひけるに、やがて失せぬ。腋の下少しをどりければ暫く葬ることもなかりし。さるほどに鬼王どもに引き立てられて碧天遥かに上り玉の階、金の高欄、瑠璃の砂、朱丹の柱、金銀の色を交へたる大宮殿の前にいたり。左の方には、はたほこを立て其の上に人頭あり。右に金の旗を建てその上に大圓鏡をすへ各四方に大幢幡をたてしはくの手半天にひるがへりてをびただし。斯に紫衣の冥官来たりて玉の簾をあげられければ、七宝荘厳の牀を置きたり。ついがきの外には罪人ども羅刹の杖に怖れてうつぶき屈り琰王たちいで玉ひ次に青衣の冥官二人下り向ひて彼の僧を請じて宮殿にのぼせ大王の対座にさせしめたり。大王の宣旨には上人我が新精舎あり、供養をなしてたび玉へとありしかば、辞しがたければ、承るとて下座して中門の廊に入り正念を起こし説法の語をぞ案じけれども蒙々として一句もうかびえず。如何がせんとなげき玉ふ所に若き御僧の袈裟をかけ如意珠を持ち来たり玉ふが彼の僧に向って曰、我は汝が昔供養せし所に雪佛の身の変化なり。汝が説法の妙力自在にして六趣遍満して受苦の衆生を済度するにたやすし。これによりて大王汝を迎へて精舎の供養をなさしめんとす。さらば彼の如意を挙げて妙法の理を説んに一代蔵經皆胸中にありて、一句の滞りあるべからずとて去り玉ふ。さて彼の如意を取りて高座にいたる大宝精舎の供養をなし玉へば大王ならびに無量の冥官まで皆無生忍(生じることも滅することもないという真理を認識すること)の益を得玉へり。其の日の罪人ことごとく苦をのがれて或は天上に生じ或は正覚を成じけり。草木瓦礫にいたるまで皆光を生じける。大王歓喜し玉ひて御布施とあるに受奉る所なし。志あらば我が父母の生在所を見せしめ玉へと申さるれば冥官の一人さしそへて獄中に入らせ奉りぬ。冥官鐵の門を推開いて碑文を引き羅刹に尋ね玉ふ。牛鬼王と承とて鐵の鉾を釜の中に指し下しかきさがし鉾のさきに炭頭のごときものを指し貫きて奉る。彼の僧我いまだ肉眼をもて見知ることあたはず、願はくは冥官の情けによりて彼の本の皃(すがた)を見せしめ玉へと申されければ地蔵菩薩の来たり玉ひて錫杖を打ち振りて件の皃(すがた)を推動かせ玉ひければ焼炭皆かけをちて本の形になりぬ。法力の故に二度(ふたたび)母の皃を見奉りけるが涕を流し琰王に彼の母を乞ひ受け玉ふに大王さすが黙止がたく許容せられける。地蔵の栖玉ふ證明院にやすすめをき我が身は即ち甦りて母の為に金字の法華経を書写し幷に地蔵の形像を金色通身の木像に造り奉りて供養し玉ふ。其の後の夢に母の金色の光を放ちて汝が所修の功徳によりて都率天に生ぜりとて雲上はるかに飛び上り玉ふとぞ見へける。夢さめて思ふはさては經力によりて成佛疑なしといよいよ修行をこたりなく勤め玉て止むことなく往生を遂げ玉ふとかや。此の事分明なる説なれども、碵徳の御事其の諱をしるしたてまつらず。唯地蔵の結縁ありがたき御事を人にしらしめんとのことばかりなり。然れば則ち乃至童子戯聚沙為佛塔。如是諸人等皆已成佛道(妙法蓮華經憂波提舍)の金言誠なるかな。若し事の經ところ浅軽とて信ぜずそしりをなすのともがらは入阿鼻獄の金言まぬかれがたし。況や真実の志をもて信じ奉らんともがらは其の利益きはまりなけれ。慎むべけん乎。
引証。我法眼の威神力を以て業報を即轉し現果を得せしめ、無間罪を除き、當に菩提を得しむ。(仏説延命地蔵菩薩経「我、毎日晨朝諸定に入り諸地獄に入り離苦せしめ、無佛世界の衆生を度し、今世後世に能く引導す。若し佛滅後の一切男女、我が福を得んと欲せば、不問日凶を問わず、不浄を論ぜず、父母に孝養し、師長に奉事し、言色は常に和に、人民を枉せず、生命を断ぜず、邪淫を犯さず、若は十斎日、若しは六斎日、若しは十八日、若しは二十四日、但だ自心正しくして此の経を轉読し、我名を稱ん者は、我法眼威神力をもっての故に業報を即轉し現果を得せしめ、無間罪を除き、當に菩提を得しむ。」)