八正道について
「八正道(正見、正思惟、正語、正業、 正命、正精進、正念、正定)の中で第一から第七まで(正見、正思惟、正語、正業、 正命、正精進、正念)が第八の沈思瞑想(三昧、正定)のための補助手段であり、予備段階に過ぎない。それではこの三昧(正定)そのものが何にとって予備段階になっているのか。増支部経典第四巻では正定の後に正しい認識(正智)とそのあとに正しい解脱をのべている。修行の目的は解脱であり解脱に達する方法が認識であり認識に達する方法が、沈思瞑想(正定)である。・・仏教の行き方を下から見ていくと、道の本来の予備段階は正しい信条(正見)である。それから瞑想(正定)に至るまでの道の諸段階は思考と言葉と行動における正しいふるまいの規範として要約することができる。正しい倫理的振る舞い(正思惟、正語、正業、 正命、正精進、正念)から正しい瞑想(正定)が生じ、その冥想から正しい認識(正智)が生じ、認識(正智)から解脱が生じる。(仏教、ヘルマンベック)」
「八正道(正見、正思惟、正語、正業、 正命、正精進、正念、正定)の中で第一から第七まで(正見、正思惟、正語、正業、 正命、正精進、正念)が第八の沈思瞑想(三昧、正定)のための補助手段であり、予備段階に過ぎない。それではこの三昧(正定)そのものが何にとって予備段階になっているのか。増支部経典第四巻では正定の後に正しい認識(正智)とそのあとに正しい解脱をのべている。修行の目的は解脱であり解脱に達する方法が認識であり認識に達する方法が、沈思瞑想(正定)である。・・仏教の行き方を下から見ていくと、道の本来の予備段階は正しい信条(正見)である。それから瞑想(正定)に至るまでの道の諸段階は思考と言葉と行動における正しいふるまいの規範として要約することができる。正しい倫理的振る舞い(正思惟、正語、正業、 正命、正精進、正念)から正しい瞑想(正定)が生じ、その冥想から正しい認識(正智)が生じ、認識(正智)から解脱が生じる。(仏教、ヘルマンベック)」