福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

真言宗安心要義(長谷寶秀)・・17(終わり)

2015-03-18 | 法話
・真言でいう三力とは?
三力とは「以我功徳力、如来加地力、及以法界力」といって、「我の功徳力、如来の加地力、法界の力」をいいます。

「我の功徳力」とは行者の三密(身口意)を行ずる力、「如来の加地力」とは先に成仏しておられる如来が行者を加持(加護)したまう力、「法界の力」とは衆生も仏も地水火風空識という六大(要素)でできているので仏も衆生も本来一体であり相互に入り組んで作用しあっていることを言います。

加持祈祷して霊験があるのも、凡夫が三密修行して仏になれるのも皆この三力の力によります。ゆえに大日経疏巻二に「自らの善根と、如来の加持力と、法界力によるがゆえに、所為の妙業みな成就することを得る」とあり、また同じ大日経疏巻十一にも「わが功徳力を以ての故に、如来の加持力を以ての故に、法界力を以ての故に、この三縁合するを以ての故にすなわち能く不思議を成就するなり」とあります。
我々凡夫は本来六大(地水火風空識)体性で本有の仏性を備え、仏と同じ六大という成分でできていますから三密(身口意)修行の功徳力に仏の加持力が加わりますと直に仏になれるのです。鉱石が磨けば珠になるのと同じです。ゆえに三力が備わらなければ成仏も往生もできません。
しかしこの中で仏の加持力と法界力は常に働いています。唯一欠けているには自分の功徳力です。従ってわれわれは修行が必要です。自分の修行さえできればあとの如来加地力、法界力はつねに我々凡夫にも働いているのですから修行さえあればいつでも三力はそろうのです。

・仏教では善悪の基準はなにか?
仏教では善悪の基準は十善戒です。十悪に対するのが十善で、これを守るのが善で、反するのが悪です。子供が井戸を覗くと危険ですが、子供に綱をつけて端を傍の大木に括り付けておくとあんぜんです。このようにわれわれもこの十善を縄として自分の体を縛っておきたとえ一命をうしなってもこの十善だけは決して背かない決心していれば身を守れます。十善戒は人の人たるべき道で是に背けば人としての資格を失うのでりますからまず第一に守らなければならない戒です。これを守らないものが三密行を行じても砂上の楼閣です。人の道を全うしていくところに仏の加護もあり、三密の行も効験がある。ゆえに十善戒は自らも守り人にも勧めるべきである。(終わり)
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