福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

撰集百縁経巻四・尸毘王、眼を剜えぐり鷲に施す緣

2020-06-04 | 諸経
『撰集百縁経巻四・尸毘王、眼を剜えぐり鷲に施す緣』(全巻書き下し)  
佛は舍衛國祇樹給孤獨園に在しき。時に諸比丘は安居竟らんと欲し自恣の時(夏安吾の終日に自分の罪を懺悔する)到る。春秋二時、常に來りて集會し佛說法を聴く。其中に或は浣衣・薰缽・打染・縫治するものあり。如是各各。皆所營あり。時に彼の衆中に一比丘あり。名を尸婆(しば)といふ。年老ひて目瞑く地に坐して縫衣す。紝針見えず。衣を縫うを得ず是の唱言を作す。「誰か福德を貪り我為に紝針をなせ」と。爾時世尊、比丘の語を聞き尋いで即ち往至く。比丘の手をとり針を索め貫かんと欲す。時に老比丘、佛の音聲を識り白して言さく、「世尊如來。往昔三阿僧祇劫。大慈悲を修し、六波羅蜜を滿足し、菩薩行を具し、結使を斷除し、功德備り足りて、自ら作佛を致せり。今は何故ぞ猶ほ我所において福德を求索するや」。佛、比丘につげたまはく「我昔より來た宿習を忘れず。故に汝所において猶ほ福德を修す」。時に諸比丘は佛世尊の是語を作し給ぐを聞き已りて即ち佛に白して言さく、「如來往昔、彼耆舊老比丘の所において何の功德をか修す。願くは為に解說したまへ」。爾時、世尊は諸比丘に告げ給く「汝等諦聽。吾當に汝らの為に分別解說せん。乃往過去無量世中。波羅奈國に王あり、名けて曰く尸毘(しび)と。國土を治正し、人民熾盛にして豐樂無極なり。時に尸毘王、常に惠施を好み、賑給し欠を濟ふ。諸の財寶・頭目・髓腦において來りて乞者あれば終に吝惜せず。精誠感應、天宮殿を動かし其の所を安んぜしめず。時に天帝釋(毘沙門天)、是念を作して言く、「我が此の宮殿は有の因緣ありて動搖如是なりや。將に我今命盡んと欲する耶。是念を作し已って尋いで自ら觀察し尸毘王を見る。不惜財寶にして來りて乞者あらば皆悉く施與す。精誠感應して我が宮殿を動かし物と所を安んぜしめず。我今當に往て其善心を試みるべし。虛と為すか實と為すかを。即便ち化して一大鷲身となり、飛來して王に詣ず。王に啓白して言く、「我聞、大王は布施を好喜し、衆生に逆わずと。我今故に來る。求索するところあり。唯だ願は大王よ我心願を遂げよ」。時に王已を聞き、甚だ歡喜を懐き、鷲に即答して言く、「汝の所求に隨ひ、終に吝惜せず」と。鷲、王に白して言く、「我亦金銀珍寶及諸財物を須ひず、唯だ王眼を須ひて以って美膳となす。願くは王よ今、雙眼を賜らん」と。時に尸毘王、鷲の語を聞きおわって大歡喜を生じ、手に利刀を執り、自ら雙眼を剜り、以って彼の鷲に施す。苦痛を憚らず、毛髮も悔恨の心あることなし。爾時、天地は六種に震動し諸天花を雨す。鷲、王に白して言く、「汝今眼を剜り、用って我に施し悔恨なき耶」と。王、鷲に答へて言く、「我汝に眼を施す。今は實に悔恨之心なし」。鷲、王に語って言く、「若し悔心なくば何を以って證となすや」。王、鷲にこたえて言く「今汝に眼を施して悔心なくば當に我眼をして還び復た故の如くなるべし」。是の誓を作しおわって時に王の雙眼は前の如く異ることなし。鷲は帝釋身に復し讚じて言く「奇哉、未曾有也。汝今において能く捨て難きを捨つ。釋・梵・轉輪聖王・世俗の榮樂を求むるとなすや」。王、帝釈に答へて曰く、「我今、釋・梵及び轉輪と世俗の榮樂を求めず。此施眼の善根功德を以て我來世に成正覺を得、衆生を度脫せむ」と。是願を発し已る。時に天帝釋、還りて天宮に詣る。佛、諸比丘に告げたまふ、「彼の時の尸毘王を知んと欲せば、則ち我身是なり。彼時の鷲は今の老比丘是なり。彼の時において眼目を布施し不吝惜の故に自ら成佛を致す。是故に今は猶ほ汝の上に於いて福德を修し尚ほ厭足無きなり」。爾時、諸比丘は佛の所說を聞き歡喜奉行せり。(ここで大切なことは眼を施された鷲はのちの世にお釈迦様の弟子となるという逆転現象です。捨身飼虎もそうですが、身を施された虎はのちに釈迦の弟子となるのです。)
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