地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の10/22
十貧苦を救ひ給ふ事(今昔物語集巻十七僧浄源祈地蔵衣与老母語 第九にあり)
山門横川楞厳院に住む僧あり、字を静源と申す。俗姓は紀氏也。然るに山上に住みて顕密の奥義を窺がひ非三非一(三諦円融)の諦観に眼を曝し一息の間断あんく修錬を事とす。真に是佛法の棟梁たらんとぞ見るに即ち慶裕阿闍梨入室寫瓶の御弟子也。師と云ひ器と云ひ是非沙汰を止ぬ。抑々亦有難き知識也。其の比(ころ)長和年中(1012年から1017年)の事なれば静源の母姉天命然らしめて元来貧しかりき。況や今度の飢歳頗る死門に向はんとす。故に老母静源の方へ文通し玉ふ、其の詞に云く、我が身過去何なれば人生如是に貧苦に逼迫して朝の煙絶断へて夕の命消へんと欲すと。別れて二度會ひ難きは黄泉の旅路なり。今一度あひ見たくこそあれ。學問の寸暇だに有らば下山し給へかしとぞ申し遣はさる。静源此の文を見て孝養の心肝に徹り先は當分の餓を助奉らんとすれども三衣一鉢の外他なければ足は子路が跡を尋ねて米を五十里の外に負ひ(『孔子家語』に子路は家が貧しく、いつもアカザや豆の葉を食べていたが、両親には百里もの遠方から米を背負ってきて食べさせたという故事。)、餅は道安が流れを汲み千尋の淵底に取たくは思へども由無し。詮ずるところ本尊に祈奉んと地蔵尊の前に老母の文をささし置きて申し奉るは、沙門静源偶ま受けがたき人身を受け、受法も亦貧しからず、皆是父母産育の恩により生長是の如し。されば孟軻も父母の養を顧みざるを不孝の一とす。(「孟子」「不孝に三あり。後(のち)無きを大なりと為す。舜の告げずして娶(めと)るは、後無きが為なり。君子は以て猶(なお)告ぐるがごとしとなせり。」)外教すら斯の如し、内典豈思はざらんや。倩(つらつら)聞く地蔵薩埵の因位に光目女と申せし母の尸羅善現の報恩の為に大心を発し菩薩地に至り在す等(地藏菩薩本願經閻浮衆生業感品第四「我爲母所發廣大誓願。若得我母永離三塗及斯下賤。乃至女人之身永劫不受者。願我自今日後。對清淨蓮華目如來像前。却後百千萬億劫中。應有世界所有地獄。及三惡道諸罪苦衆生。誓願救拔令離地獄惡趣畜生餓鬼等。如是罪報等人盡成佛竟。我然後方成正覺。發誓願已。具聞清淨蓮華目如來。而告之曰。光目。汝大慈愍善能爲母發如是大願。吾觀汝母十三歳畢捨此報已生爲梵志壽年百歳。過是報後當生無憂國土。壽命不可計劫。後成佛果廣度人天數如恒河沙。佛告定自在王。爾時羅漢福度光目者即無盡意菩薩是。光目母者即解脱菩薩是。光目女者即地藏菩薩是」)。
覚無垢の大聖心自在の薩埵也。土石を以て金銀となし海水を以て乳酪にかえ給ふも難かるべからず。威徳定力には魚米を邊じて衆生に授くるも類なきにあらず。頗る母の命を延べん方便をめぐらし飢渇の衆生を助玉へとぞ祈奉て密密に地蔵普賢の法を行じて手に三鈷を握り口に神呪を誦し心に母公安全の観念をこらして七日に満ぬ。其の夜京の母公夢に端正の小僧手に・・絹三疋を捧げ来て曰、此の絹は上々品也。凢下に類あるべからず。横川の静源是を奉ると申す。早く交易して米を得玉へと云へり。老母夢覚めて女(むすめ)の傍に寝たるに語りて目出度き瑞とぞ悦びけり。夜明けて傍を見れば件の上品の絹三疋あり。人々是を見て手を打って感歎す。此の靈物によりて一家忽ち富貴になり延命の加被力を得られけるなり。
引証。延命地蔵經に云、「亦是の菩薩は十種の福を得、一は女人亦是菩薩は十種の福を得しむ。 一は女人泰産、 二者は身根具足、 三は衆病悉除、 四は寿命長遠、 五は聡明智慧、 六は財宝 盈溢、 七は衆人愛嬌、 八は穀米成熟、 九は神明加護、 十は證大菩提(仏説延命地蔵菩薩経「亦是菩薩は十種の福を得しむ。一は女人泰産、 二者は身根具足、 三は衆病悉除、 四は寿命長遠、 五は聡明智慧、 六は財宝 盈溢、 七は衆人愛嬌、 八は穀米成熟、 九は神明加護、 十は證大菩提」。