福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

釈雲照師「十善業道経講義」から・・その29

2018-03-29 | 諸経
この邪見を離れると十の功徳がある。
「何等をか十となす」。
「一には真善の意と尊善の等侶とを得。」(よき志の者はよき侶を得る。等侶とは同等の友ということ・・)
「二には深く因果を信じて寧ろ身命を損ずるとも終に悪を作さず。」(先に述べたとおり一切衆生の災害を受けるは一から十まで悉く先の世の悪因の報い来れる結果であって、幸いを得るのは前世もしくは来世の善根の功徳である。善悪、邪正、吉凶、禍福悉く因果応報でないものはなく原因なしに何でも起こってくるものはない。かく深く因果を信じて縦令己の身命を損し失って仕舞っても終に悪をなさず。・これが大切なこと)
「三には唯、仏に帰依して余の天等にはあらず。」
「四には直心正見にして永く一切の吉凶疑網を離る。」(直心正見というは・・因果の道理、善因善果悪因悪果の道理をまっすぐに正直に正直に信ずるのが直心、正見にして 永く一切の吉凶疑網を離れる。)
「五には常に人天に生じてさらに悪道に非ず。」
「六には無量の福慧うたた増勝す。」(こういうように不邪見戒が腹の中に極まっておるとだんだん善心が倍増し道徳心が増す。したがって福徳が増す。福徳が増すに従って智慧がますます増す。したがって福慧増勝すと説かれた。)
「七には永く邪見を離れて聖道を行ず。」
「八には身見を起こさず、諸々の悪業を捨つ。」(身見というのはやはり邪見の一つで、我が身は常にあって我が身ほど大切なものはないという考え。親の権利、子の権利などというものはこの邪見から起こってくるのである。)
「九には無碍の見に住す。」
「十には諸難に堕せず。」(地獄、餓鬼、畜生、仏前、仏後というような八難の世界に落ち込むことはない。。これを十となす。もしよく阿耨多羅三藐三菩提に回向せば(悟りを得るための糧とせば)後、成仏の時、速やかに一切の仏法を証して自在神通を成就せん)。
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