実語教(傳、弘法大師作、寺子屋等で使用。「実語教註慈賢(鎌倉時代の天台座主)」「実語教諺解(覚賢慧空)」等より解説)解説・・・24・或は始は富みて終りに貧く、 或は先に貴くして終に賤し。(文選五十五劉孝標広絶交論に「夫れ寒暑逓ひに進みて盛衰相襲(よる)、或いは前に栄え而して後に悴ふ、或いは始め冨て而して終貧し。或いは初めは存して末亡びぬ」李善の註に「説苑・雍門周、孟嘗君に対して曰く『臣が之能く悲し . . . 本文を読む
磯長の御廟窟の中に聖徳太子が御自ら御製作なされたという碑文がありまして、その中に「我が身を生育するは大悲母、西方教主弥陀尊」(聖徳太子の伝記といわれる「松子伝」にある廟窟偈文として「我身救世観世音 定慧契女大勢至 生育我身大悲母 西方教主弥陀尊 為度末世諸衆生 父母所生血肉身 遺留勝地此廟崛 三骨一廟三尊位」等の文が伝わっているのです)という句があります。我が身を生育し給う大悲母は西方の教主弥陀尊 . . . 本文を読む
天皇陛下ご出家の例
以下、花山信勝「日本仏教」をもとに調査。
・第四十代天武天皇(日本書紀(天智天皇即位十年671十月)「庚辰(17日)天皇の疾病彌よ留る。勅して東宮(大海人皇子・天武天皇の皇太子時代)を喚び臥內に引入し詔して曰く『朕の疾ひ甚だし、以後の事を汝に屬す云々』。是に於いて再拜し疾と称して固辭し受けずして曰く『請ひ奉る、洪業を大后(倭姫 . . . 本文を読む