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流出雑記 

不意の休日

2011年02月11日 | Weblog

昨夜『マグダレンの祈り』という映画を見た。

キリストによって改心した娼婦マグダラのマリアにちなんで名づけられた「マグダレン修道院」。19世紀に、堕落した女性や娼婦のための避難所としてアイルランドに建設されたが内実は、婚姻外の子供をもうけてしまったり、レイプの被害にあったりした為に社会や家族、カトリック教会から堕落した者、一族に恥をもたらしたと決め付けられた女性を強制的に監禁する収容所だった。婚前交渉が殺人と並ぶ罪とされた時代があったのだ。

塀の中での生活は修道女たちによって管理され、女性たちは洗濯部屋で働かされた。私語、外部との連絡、家族と会うことも禁じられ、ひたすら洗濯の仕事をさせられる。洗濯が罪を犯した身を洗い清める労働とされていた。洗濯と言っても今のような洗濯機や乾燥機のない頃の話しなので、湯気のあがる洗濯室で何十人もの女性が山積みのシーツに洗濯粉をまぶし、シャツやタオルは洗濯板や手で汚れを落とす。それを1日中。そんなに洗剤やお湯に触っていては手なんかぼろぼろだっただろう。

逃亡を企てた者もいたが、失敗するとシスターから鞭打たれ、髪を丸刈りにされる。修道女と言っても慈悲もくそもない歪んだ看守のような人たちだったようだ。中には施設に閉じ込められたまま一生を終える女性、発狂して精神病院に移され死んだ女性もいた。

このマグダレン修道院は1996年まで実際に存続していたという。
映画は収容された女性たちの実話をもとにしている。そのような断罪がまかり通っていたことに恐怖をおぼえる。なぜそこまで女性の性を抑圧する必要があり、何が恐れられていたのかを考えたいと思った。

予定通り6時半起床。

身支度をして朝ご飯にポトフの残りを温めていると電話がなった。今日の午前中に仕事に行く予定のデッサン会の主催者からだった。そこは奈良方面なのだが吹雪になっているそうで午後からに変更にしてほしいとの連絡。こちらの雪は舞い散る程度で積もってはない。せっかく早起きしたがポトフを食べてコタツで寝なおした。2時間後また電話がなって起こされた。雪が降り止む気配がないので今日は中止にしたいということだった。それでいきなり休みになる。今日の出端をくじかれた感と変に寝たせいか眠気がしつこく目の裏に張り付いていて、もう知らんとそのまま三度寝する。

12時半に目が覚めた。

夫はパソコンの前で仕事中だった。仕事部屋にパンとポトフとコーヒーを運んで自分は昨日もらったかぼちゃのいとこ煮に餅を絡めて食べた。

天気予報では雪だったが晴れているので洗濯する。

パンを発酵させつつ、今日どうしてもやってしまいたいことをやろうとしていた。町内の組長の役を来年度の人にお願いしにいくこと。これに数日悩んでいた。うちの町内は家の並んでいる順番に回ってくるわけではないらしく、どういうサイクルになっているのかよくわからなかった。それで今まで記録を遡っていちばん前にやった人を探し出す。もうひとつ気がかりは高齢の独居宅が何件かあり、そういうところにあたったらやるのは大変だと思うが、どうすれば良いか、誰に相談すると良いかなど。

でも幸い次の人はそういう家ではなかったので、少し安心して頼みに行ける。とは言え相手にとってうれしい訪問ではないし、同じ町内でも町内会費を集めに行った以来会ってない人だったので行くまでにもたついてしまう。1度行って留守。2度目は灯りがついていた。

行ってしまえば順番と言うことで受け入れてくれるのだが。

とにかくこれで月2回117部届く市民新聞の分配と配布と無意味なポスター張りの業が終わる。

夕食 豚ネギ塩炒め 菜の花からし合えはからしがちょっと効きすぎたので胡麻ドレッシングを足す。 しめじとわかめの味噌汁 すぐき

明日の朝用のパンは今までのなかでいちばん想像に近いものに焼き上がった。少し粉や水や油分の塩梅でどういう生地になるかわかるようになってきた。

 

 

 

 


ミュンヘンの夜の日

2011年02月11日 | Weblog

彫刻の70日ポーズ終わりの打ち上げ。夕方自転車で三条の方へ向かう。

打ち上げは6時からで少し早く着いたので、先月末に二人目の女の子を産んだ中学時代の親友の出産祝いを買いに行く。ベビー用品やおもちゃなんかは上の子のお下がりや他にもたくさんもらうのではと思う。それで今回は頑張った母にヴェレダの産後ケアオイルを贈ることにした。

6時前にミュンヘンというビアレストランへ。

製作者4人のうちひとりは都合が悪くなって来られなかったので私を入れて4人。

ミュンヘンは老舗と呼んでいいようなわりと古くからあるお店らしい。表は赤レンガで店の中の雰囲気もずっしりとしている。

気持ちとしては黒ビールを頼みたいが、ただでさえ呑めないのに空腹では即沈没してしまうのでとりあえうず烏龍茶。

メニューは唐揚げ、フライドポテト、などスタンダードなものが並ぶがどれもちゃんとおいしい。盛り合わせのソーセージの香辛料をしっかり効かせたのがとてもおいしかった。

話題は主に仏師の方の壮絶苦労話。

私がなぜ仏師になったのかと尋ねたら始まってしまった。

若い頃絵を描くのが好きで学将来は画家になりたいと親に話したら断固反対され高校卒業後は鉄工所に就職。その数年後父親が亡くなり、そこから好きなことをしようと思い立って郷里の富山を出て京都にやってきた。絵を習おうといろんなところを見てまわったが、他の人の絵の上手さに敵わないものを感じたそう。筆で描くより手を使って何か作り方が向いているように思って仏師のところに弟子入りする。師匠の家に住み込みで、そこではとてつもなく肩身の狭い思いをして暮らした。とにかく掃除をさせられる。窓は1日に2回拭けと言われ、そうしていると窓の木枠は傷んでガタガタだった。食事は師匠の家族と弟子と皆で食べるが机は別で食事の内容も違う。時々おかずに魚が付いてくのがなによりごちそうだったと言う。食事が出るのは昼と夜だけなので夜にはいつも食べられるだけ食べた。弟子が食事をしている机の頭上にも電灯はあったが遠慮して誰も紐を引かなかったので、師匠と家族の机からのもらい灯りで食事をしていた。醤油やソースは弟子の机にはなく、ほしければ師匠の机に借りにいかねばならない。わざわざそうするのを避けて味の薄いまま食べていたら、今でも醤油などをあまりかけない癖が残っていると言う。20代半ばのよく食べる頃で出される食事だけでは足りなかった。ひと気のない時間帯に近くのお寺に行って、お供え物を取ってきたりもしたそうだ。仏師としての技術を習得する以前にそこで生活することが苦痛だった。でも弟子がなぜそのような扱いを受けるかというと、弟子入りで住み込み中のその場所が居心地よくあってはいけないからだという。早くこんなところ出て行きたいと思えば技術というのは早く身に付く。ということ。そこに居さえすれば寝食には困らないのでそれで、満ち足りてしまってはだらだらと居座ってしまう。手荒い手段ではあるが職人の世界にはそういう厳しさがある、という話し。

それから輪廻転生や前世というものをどう思うかと聞いてみた。仏教思想では生前から運命が決まっているというその時降りかかった運命を、なぜこんなことになったのかと自分の運命を恨んでいた心が反転して、ああそうか、こうならねばならなかったか、こういう運命を生きねばならなかったのかと、悟ることを言うそう。前世がなにでどうこうという因果関係は知りようがないし結局のところわからないのだからほっておけばいいということだった。 なんとなく清々しいなと思った。

少しはアルコールもどうと言われシャンディーガフを頼んだ。

製作メンバー4人のうち女性ひとりが今日は欠席で、もうひとりの女性が、かぼちゃのいとこ煮を作ってきてくれた。私がかぼちゃが好きだと言っていたのを覚えてくださっていた。餅と絡めて食べるとおいしいと聞いたので明日の朝さっそくやってみようと思う。

彼女も変わった経歴の持ち主で、若い頃に役者になりたかったり絵を描きたかったりしたかったけれど親に許してもらえずに、結婚して子供を育て、50代を前にすべて捨てて娘を連れてアメリカに飛んだそう。そこで絵の勉強をして、その頃に描いたスケッチに言葉を乗せて出版した本も見せてもらった。

やりたいことをやって生きている今の私くらいの世代の人たちが羨ましくもあると言われる。私は今の60代くらいの人たちの頃に生まれていたらとどんな学生時代を過ごし、どこに行き、誰と出会い、何をしただろうと当時の演劇や舞踏、学生運動の記録を見ながら思ったことがあった。きっと私が知っているのとは異質な熱を帯びた人たちがいた時代だったのだろう。坩堝のような時代に身を置いてみたかったと思うところはある。とは言っても私はやはり今なのだと思っているし、良いも悪いもそれでしかない。