今日初めてのインプロセッションの會。
午前中から正午にかけて雪がちらちらしていた。吹雪かないことを祈る。
私が家を出るときには雪はやんでいた。クロッキー帳も持っていく。2時に出町柳のスペースを借りているカフェの前まで来ると、ギターを背負った友人が反対の方向から走ってきた。カフェの奥の多目的スペースに入るともう既に2人来てくれていた。
部屋を暖めつつストレッチしていると徐々に人が集まり、この日は私を含め参加者8人。約2時間半の間に3セットやった。
1 空間に3人までの人数制限(ソロでもデュオでもいい)体感20分~30分の間に「終わり」を見つけること。
2 空間に必ず3人をキープすること。場の転換速度を少し早める意識。 体感20分~30分の間に「終わり」を見つける。
3 空間に必ず2人をキープすること。 上と同じく「終わり」を見つけること。
8人の体は8様の言語で話すように違っている。それが同じ場に急に放たれるのだからいきなり通じる方がむつかしい。それより相手の話し方を良く見ること。そして場に自分の体を投げ入れること。初回の今日はとにかくセッションする場を実作業として切り拓いていくようだった。鍬が入ったという感じ。この作業はどうしてもひとりでは出来ない。
それぞれが「私」であってよいということをあらためて思う。この言葉は安易に使うと誤解を招くかも知れない。「私」であるということは単に自己主張をするということではない。他者との関係の間に自立的に発生する状態、自分以外のものを知覚しつつその時々に方向を見いだしている最中の軸のようなものが「私」だと思われる。第三者の意図に沿うのでなく、それぞれの軸の判断に身をまかせ、それが反映される場を共有し、再現を目的としない時間をつくることがインプロやる意義だと思っている。
他者を前に何かしようとするときには遠慮や気負いや虚栄や意図がつきまとう。そういうものから完全に切り離された純化を目指すのでもない。ただそれを知っていなければならない。そしてそうではない状態、本当に自分はどうありたいかということを体で探すための場でもある。
書くと堅苦しい印象になるだろうか、でもこれはとても心踊ることだと思っている。