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流出雑記 

2009/8/1

2009年08月01日 | Weblog
昨夜、野村芳太郎監督の『鬼畜』(昭和53年)を観た。
下町の小さな印刷屋を営む夫婦(緒形拳、岩下志麻)は工場のほとんど火事で焼いてしまった上、大手印刷工場に仕事を取られ経営は芳しくない。そんな折、夫の愛人が三人の子供を連れて突然やってくる。7年間支払い続けていた愛人と子供への生活費も滞っていたのだ。愛人はこのままでは暮らしていけない、あなたの子だから引き取ってくれと訴える。
7年間愛人と子供の存在を知らなかった本妻は当然憤慨するが、愛人は子供を置いて蒸発。
残された7才の男の子、3才の女の子、1才の男の子。
この夫婦に子供はなかったが本妻は面倒を見る気など更々なく、それどころか子供たちの存在は、ぎりぎりの生活と愛人への苛立ちの矛先の向かうところとなる。
一才の男の子が言葉にならない声で何かぶつぶついいながら、ちゃぶ台のところで味噌汁や醤油を炊飯器の中に注いでその辺を米粒だらけにしながらかき回して遊んでいる。それを目にした本妻は子供をひっ捕まえ、米を泣きわめく子供の口に詰め込む。
魔法を使えないこの映画の子供たちはとりあえずケンケンパなどして日々を過ごす。
ある日末の男の子は栄養不良で死ぬ。
それをきっかけに夫婦の間で、厄介者は始末しようということになる。
まだ住所も親の名前も言えない次女は東京タワーで望遠鏡を覗かせている間に置き去りに、物心のついた長男には、パンに青酸カリを入れて食べさせようとしたり断崖から突き落とそうとするがうまくいかない。
最終的に寝ている長男を夫が崖から投げ捨てるが、崖の松の枝に引っ掛かって一命を取り留め後日保護される。
長男は警察で父の名前も住所も黙秘するが持ち物から身元がわかってしまう。
自分を殺そうとした父親、それでもかばう子供。という親子の絆。

子役の三人の質素な生活の染み付いたような雰囲気がいい。女の子は煤けた人形のような顔をしている。長男は意識的だが妙な無防備さでカタカタ手足を動かす。

デヴィッド・リンチの『イレイザーヘッド』に精子のような形の気味悪い子供が出てくるのだが、ふとそれを思い出した。その子供が鳴き声をあげたりすると虫酸がはしるというくらい私には嫌悪感を感じるもので、しかしそれを見たくなり、この映画を高校性の頃から何度か見ている。
『鬼畜』に出てくる子供たちに似た様な嫌悪感を感じたのはなぜだろうとずっと考えている。