
9時起床。ゴミを出す。
昨夜切って砂糖と塩少々をまぶしておいた南瓜、こうして一晩置くと南瓜から水分が出てくる。そこに調味料を足して水を入れずに炊くとほっくり仕上がる。弱火でないと焦げる。
午後から奈良で仕事。
京都駅からJRに乗る。去年も確かこの時期に同じところに仕事しに来た。
会場は、トイレがホテルのようにきれいな公共施設。描きに来ているのは60代以上の男女15人程で、顔ぶれはほぼ変わらず。去年は裸婦だったが今年は着衣、できるだけ描きやすそうな色柄のはっきりしたワンピースを2着持参し選んでもらう。
2時間4ポーズ
2ポーズ目の途中、教室に彼らと同年代の女性がふたり入ってきた。ふたりは別の教室でやっている俳画教室の人たちで、絵を描いている教室の奥の物置部屋から色紙のストックを取りたいらしかった。
教室内はスペースいっぱいに15人がイーゼルを並べているので、物置部屋の前にもそこに行くまでの導線も塞がっている。描き手の誰かが一応、どうぞ、と言ったが、誰も道をあけようとしない。
ふたりは教室の端でしばらくもじもじしてぼそっと「すみません…そやけど、通られへんなぁ…」と言った。 それが勘に触ったのか、描き手のおばさんが「もうすぐ休憩やしそれまで待ったら?」と投げるように言った。
俳画のふたりは「じゃあ待たせてもらいます。すみません。」と教室の外に出た。そのとき残りのポーズ時間は7分ほどだったと思う。
しばらくしてタイマーが鳴り休憩に入る。
しかし誰も外で待っているふたりを呼ぼうとせず、それぞれ絵を眺めたり、自分たちの茶の用意をしたりしている。
仕方ないのでドアをあけて終わりましたよと声をかけた。ふたりはすみませんと奥の部屋に入って色紙の束を抱えてすみませんすみませんと出ていった。
ふたりが出ていった後、「なあ、すみません通してもらえますかぁ言うてくれたら私らかて気いよう通すのに、通られられへんなぁて、ちょっと常識ないわあ。」とおばさんたちは言う。
しかし雑談しながら描いていることもあるのに、ふたりが入ってきたときはさも集中してますよ、という空気を醸し、理由のない優越の中、通してくださいと言えない雰囲気を作ったのは単にいじわるだ。全員がそうではないにしても、誰も動かなかったのは、些細なことのようだが、この絵画の会に以前から感じる無神経さが露出した出来事だった。
ポーズしつつ彼らを見返す視線に微量に侮蔑の色を混ぜてしまう。
何描いてるんだろう。
全4回の固定ポーズなのであと3回来ることになっている。
終わって夕方京都に戻り、ダーリンと待ち合わせて近代美術館で野島康三展を見る。
野島康三(1889-1964)はピクトリアリスムと呼ばれる絵画的な写真を撮っていて、初期のものは特に、光のあたっている部分が立体感を出す為に白く抜いてあったり、撮影したものにかなり手が入っているようだった。
目で切り取ったものからそのものに感じた奥行きを明暗の中に掘り下げ、浮かび上がらせようとしているように見える。
粒子がざらつきを残した沈黙の肌理をつくり、静物も裸婦も写真の中で別の実存を与えられているように感じられた。
ふたつの仏手柑を構成して撮ったもの、ひとつは箱からはみ出していて、もうひとつは机の上に立たせてある。立っている方はずんぐりした本物の手のようで、最近読んでいる辺見庸のエッセイの中に出てくる、地雷に吹っ飛ばされた人の手が地面から生えているみたいに立っていたというのがよぎった。
全く関係のないふたつのイメージが私の中で多重露光のように重なり、焼け野が原に不自然な植物のように立っている手にうっすら柑橘系のにおいがまとわりついてジッと焼き付く。
人物ではモデルFの肖像が圧倒的だった。
眼差しに異様な力のある女性で、写真にどこか野蛮で生的なにおいが移り込んでいるようで見入ってしまう。
後期になる程、写真自体の精度はあがり、鮮明になってはいくが、そうなると初期のセピアの画面にあった引力は弱まっていった。
鮮明に、見えすぎる画面は何かぺろんとしたものに見え、解像度に頼った分、撮影者のイメージへの執着が薄まったように感じた。というような感想を近くのグリル小宝でハヤシライスを食べながら話したいと思っていた。しかし一緒に行った彼は、この日、ものを見る照準が定まらなかったらしく、なんかよくわからんかった、集中できなかったと言う。それで何だか私も失速してしまい、小宝もスルーして王将で、しゃべるかわりに焼きそばを口に運び咀嚼。
昨夜切って砂糖と塩少々をまぶしておいた南瓜、こうして一晩置くと南瓜から水分が出てくる。そこに調味料を足して水を入れずに炊くとほっくり仕上がる。弱火でないと焦げる。
午後から奈良で仕事。
京都駅からJRに乗る。去年も確かこの時期に同じところに仕事しに来た。
会場は、トイレがホテルのようにきれいな公共施設。描きに来ているのは60代以上の男女15人程で、顔ぶれはほぼ変わらず。去年は裸婦だったが今年は着衣、できるだけ描きやすそうな色柄のはっきりしたワンピースを2着持参し選んでもらう。
2時間4ポーズ
2ポーズ目の途中、教室に彼らと同年代の女性がふたり入ってきた。ふたりは別の教室でやっている俳画教室の人たちで、絵を描いている教室の奥の物置部屋から色紙のストックを取りたいらしかった。
教室内はスペースいっぱいに15人がイーゼルを並べているので、物置部屋の前にもそこに行くまでの導線も塞がっている。描き手の誰かが一応、どうぞ、と言ったが、誰も道をあけようとしない。
ふたりは教室の端でしばらくもじもじしてぼそっと「すみません…そやけど、通られへんなぁ…」と言った。 それが勘に触ったのか、描き手のおばさんが「もうすぐ休憩やしそれまで待ったら?」と投げるように言った。
俳画のふたりは「じゃあ待たせてもらいます。すみません。」と教室の外に出た。そのとき残りのポーズ時間は7分ほどだったと思う。
しばらくしてタイマーが鳴り休憩に入る。
しかし誰も外で待っているふたりを呼ぼうとせず、それぞれ絵を眺めたり、自分たちの茶の用意をしたりしている。
仕方ないのでドアをあけて終わりましたよと声をかけた。ふたりはすみませんと奥の部屋に入って色紙の束を抱えてすみませんすみませんと出ていった。
ふたりが出ていった後、「なあ、すみません通してもらえますかぁ言うてくれたら私らかて気いよう通すのに、通られられへんなぁて、ちょっと常識ないわあ。」とおばさんたちは言う。
しかし雑談しながら描いていることもあるのに、ふたりが入ってきたときはさも集中してますよ、という空気を醸し、理由のない優越の中、通してくださいと言えない雰囲気を作ったのは単にいじわるだ。全員がそうではないにしても、誰も動かなかったのは、些細なことのようだが、この絵画の会に以前から感じる無神経さが露出した出来事だった。
ポーズしつつ彼らを見返す視線に微量に侮蔑の色を混ぜてしまう。
何描いてるんだろう。
全4回の固定ポーズなのであと3回来ることになっている。
終わって夕方京都に戻り、ダーリンと待ち合わせて近代美術館で野島康三展を見る。
野島康三(1889-1964)はピクトリアリスムと呼ばれる絵画的な写真を撮っていて、初期のものは特に、光のあたっている部分が立体感を出す為に白く抜いてあったり、撮影したものにかなり手が入っているようだった。
目で切り取ったものからそのものに感じた奥行きを明暗の中に掘り下げ、浮かび上がらせようとしているように見える。
粒子がざらつきを残した沈黙の肌理をつくり、静物も裸婦も写真の中で別の実存を与えられているように感じられた。
ふたつの仏手柑を構成して撮ったもの、ひとつは箱からはみ出していて、もうひとつは机の上に立たせてある。立っている方はずんぐりした本物の手のようで、最近読んでいる辺見庸のエッセイの中に出てくる、地雷に吹っ飛ばされた人の手が地面から生えているみたいに立っていたというのがよぎった。
全く関係のないふたつのイメージが私の中で多重露光のように重なり、焼け野が原に不自然な植物のように立っている手にうっすら柑橘系のにおいがまとわりついてジッと焼き付く。
人物ではモデルFの肖像が圧倒的だった。
眼差しに異様な力のある女性で、写真にどこか野蛮で生的なにおいが移り込んでいるようで見入ってしまう。
後期になる程、写真自体の精度はあがり、鮮明になってはいくが、そうなると初期のセピアの画面にあった引力は弱まっていった。
鮮明に、見えすぎる画面は何かぺろんとしたものに見え、解像度に頼った分、撮影者のイメージへの執着が薄まったように感じた。というような感想を近くのグリル小宝でハヤシライスを食べながら話したいと思っていた。しかし一緒に行った彼は、この日、ものを見る照準が定まらなかったらしく、なんかよくわからんかった、集中できなかったと言う。それで何だか私も失速してしまい、小宝もスルーして王将で、しゃべるかわりに焼きそばを口に運び咀嚼。
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