私は私というものに何かひっかかり続けている。
私とは何かと、考える迄もないと言われるような類のものに捕われるのだが、そういうことをこれから舞台において表現したいと思っているわけではない。
何かしらの答えを求めている訳でもない。
ただ私の地盤がそういうものであるということ。
それは足をとられてどこにも行けない沼です。
しかし思う。
底無しの沼は。
沈み続けたらどうなるだろうと。
暗転。
開演、何かがはじまるまでのわずかな暗やみの中、舞台袖でそんなことを思う。
底無し沼にふと星をみるような自由さと広さが
あ。
目を開けて夢を見ている。
こういう体感は舞台で何かがはじまるその手前のわずかな時間にある個人的なものであるが私自身が舞台へ引きよせられる動機となる。
役者は一個人でありながら自由自在な存在として仕掛けられた場所で完全にふりをするというやり方で観客を騙す。騙すことでしか成立しない。
それは事実である。
沼にいても。
舞台に立つことで得た体感から引っ張りだされた言葉は主観的であるし、観客にとって舞台がどうこう以前のことである。
観客の視点から読まれた時にただの戯言であるかも知れない。
舞台で私は纏い、ふりをする。
何かのふりがやりたいなんて妙なことだ。
しかし何よりその中で、裸体の時間、日常の取り繕いからも離れて
なにもはじまる前に
そういうものに惹かれるのです。
私とは何かと、考える迄もないと言われるような類のものに捕われるのだが、そういうことをこれから舞台において表現したいと思っているわけではない。
何かしらの答えを求めている訳でもない。
ただ私の地盤がそういうものであるということ。
それは足をとられてどこにも行けない沼です。
しかし思う。
底無しの沼は。
沈み続けたらどうなるだろうと。
暗転。
開演、何かがはじまるまでのわずかな暗やみの中、舞台袖でそんなことを思う。
底無し沼にふと星をみるような自由さと広さが
あ。
目を開けて夢を見ている。
こういう体感は舞台で何かがはじまるその手前のわずかな時間にある個人的なものであるが私自身が舞台へ引きよせられる動機となる。
役者は一個人でありながら自由自在な存在として仕掛けられた場所で完全にふりをするというやり方で観客を騙す。騙すことでしか成立しない。
それは事実である。
沼にいても。
舞台に立つことで得た体感から引っ張りだされた言葉は主観的であるし、観客にとって舞台がどうこう以前のことである。
観客の視点から読まれた時にただの戯言であるかも知れない。
舞台で私は纏い、ふりをする。
何かのふりがやりたいなんて妙なことだ。
しかし何よりその中で、裸体の時間、日常の取り繕いからも離れて
なにもはじまる前に
そういうものに惹かれるのです。
うまく書けるか自信がないけど
芝居が終わって役者がべた明かりの中で礼をするとき、ふと昂ぶりを覚えることがある。あのカーテンコールの時間 「演技が終わった」をいいかえると「本人に戻った」とでもいえる瞬間だろうか。しかしその状態を 「私」を取り戻した といっていいものかどうか 演技が終わった役者は たしかに憑き物が落ちた感じがする 役者は彼ら自身に戻ったのか しかしその姿に「なんて心もとないんだろう」と思ったりもする。正直 演技から抜けた人間のほうがはかないのだ ある意味では。
ここにひとつの考え
アウシュビッツのガス室で ぎゅうぎゅう詰めにされて死んでいった人たちのことを「自分の息も他人の息もないような状態」と大好きなある劇作家がいう どういう意味かは不明 ただ生きるとはそういう面も持っている。もはや身体ですらない 実体すらない私は私の息。交じり合う息。
といって 私は誰でもない ということもできない。
しかしidiotはたぶん、彼らが「私」の匂いが消えてしまうほど遠くにいるという意味で遠くの人々だということはあり得る 私たちは近い。近いから差異を見てしまい、それを語ってしまう 国家や流行や恋愛 そうやってお互いますます近づいてゆく それは仕方がないことだが、遠くにも人間は行ける。
価値が近いからではなく、他人に親近感を覚えることはよくある 遠くのidiotはそういう意味で私たちの核心を突いてしまう 虚を突かれる 他者に私を託すというよりも 私も他者もない沼に沈んでいく 私もなくなる しかしそう考えているのはほかならぬ私であってほかの誰かではないという不思議。やはり観客的な言い方だけれども、私とはすべての外にあるもので孤独だ。しかしみな同じように私を持っているのだから孤独ではないのかもしれない。みな一生かかって芝居をやめきれないと思えば やっぱり観客だ。
「私」という言葉を使うとやっぱりまとまらない 考え続けてしまうが考えることはもっと個人的な意味でやめられない。そして日常のなかで深く考えることができるチャンスはとても貴重だ この日記を読めてよかったです ありがとう。
脚本が思うように書けなくなってしまいました。
自分で思っていたよりも深刻で、
そういった意味で沼の深いところに沈んでいます。
こんな時は、一体、何を食べればいいのでしょう。
どう動くべきなのでしょう。
姉さん、風邪にはお気をつけ下さい。
前のコメント読んだときギクッともしたの。
そのあと自分が何を書いても胡散臭い感じがして。
自信ないし不勉強ですが、
時々見て、また言葉をください。
辛いものを食べて代謝を上げるとなんだかすっきりするかも知れない。なので韓国料理とかカレー。
あと脳の栄養にチョコ。
私は行きづまったとき普段やらないとこを掃除する。きれいになるし忘れてたもの出てきていろいろ振り返ったりそのうちなんか思いついたり。さ。
国家や流行や恋愛 そうやってお互いますます近づいてゆく それは仕方がないことだが、遠くにも人間は行ける。
↓
国家や流行や恋愛 そうやってお互いますます近づいてゆく それは力強いことだ。しかし遠くにも人間は行ける。
またときどき、何か書いてください。楽しみにしています