figromage

流出雑記 

初夢の日

2011年01月06日 | Weblog
5日3時40分に床に着き、4時30分に目が覚めるまでの間に見た夢。

日没、群青色の公園にいる。
若い浮浪者のような身なりの男がひとり、何か生まれたての動物のようなものを抱えて歩いてきた。
薄暗いのでよく見えないが、近くまで来て抱えているのは壊れた木馬だとわかる。男は私の近くまで歩いてきて、何も言わず木馬を目の前に置いた。ここに座ってみろということらしい。
嫌な気はしなかったので座ってみると浮力を感じた。そのまま木馬と一緒に浮いた。木馬が浮いているから浮いているだけでなく、私も浮力を帯びていた。あ、飛べるなと思い、跳ね上がるように力を使うと木馬をおいて体だけばねのように上に向かって飛び上がった。

飛んでいる夢は他の夢と少し違う。他の夢はよく頬っぺたをつねって確かめるように皮膚感覚があまりなく、記憶をコラージュした映像の中にいるような感じなのだが、この飛ぶ夢だけは他の夢と違って、肌で風を切る感じや、顔で風を突っ切るとき、鼻に強引に空気が入ってくる感じ、急降下するときの下腹部がそわそわする無重力感など体感がとても鮮明にある。
飛んだ時点で夢だということにはいつも気付いている。誰かが死んだ夢をみたとき泣きながら起きる、感情に乗り移る夢とは違って、体感のみの記憶が目覚めた体に残る。

突然ただ真っ暗な中を飛んでいるときもあったが、飛ぶまでの導入があるのは久しぶりだった。

小学校の頃、新聞の折り込みチラシに、このチラシを2枚手に持って羽ばたいたら飛べます、というのが挟まっていて、校庭で試したら飛べたという夢の作文を全校集会で読んだことがあった。体育館で読む練習をしているとき先生に、増田さんは舌ったらずやなあと言われ、帰ってからその意味を母に聞いて発音が下手ということと知り、読むのが嫌で仕方がなかったのをよく覚えている。

今回は家々の屋根が見えた。
限度はあったが、低い雲を突っ切るくらい、思ったより上空までいけることにも気付いた。

上の方まで行くと雲の中に光っているところがあった。
何があるのか見に行こうと思ってそこに届くように飛び上がってみた。最高到達点あたりでやっとその雲の上を見ることが出来た。
光っているのは雲に乗っている人だった。光源そのものでシルエットしか見えない。周囲に放射状の光の筋が出ている。
あちらも飛び上がって来る私を雲から下を覗くかたちで座っていた。
私は飛びながら静止することができないので、何度か上がったり下がったりしながらその姿を見に行ったが何度見てもさっきの姿勢から動かない。
光っている人はどうやら神様らしかった。
シルエットはソバージュの長髪で痩せがたの男性だったので、神様だとしたらキリスト教のかただと思う。
ただあまりにも動かないので、もしかすると張りぼてに電飾を飾ったものかも知れなかった。
どちらにせよ信仰心は微塵もない者の初夢に神様とはどういうことだろう。縁起の良し悪しで言えばどうか。良い気もするし良くない気もする。

あまり近づかない方が良いような気がしたので、同じ雲の上に乗るのは辞めておいた。
そのあと降り立ったのは暑い国の貧民街だった。
様々な人種の人びとは皆故意に絵の具で汚しをかけたようなぼろを着て、狭い路地の闇市を行き交っている。
下水のにおいがどこにいても漂って来る。いちばん人だかりが出来ていたのはガソリンみたいなにおいのするアルコールを売っている店だった。ビール色だがあまり発砲していない。皆それを飲むので、ガソリンのにおいの息を吐く。
その店の奥には大きなゴリラがいた。ゴリラにバナナをあげてみるといいと誰かに言われてそうしてみた。
ゴリラはバナナを食べると突然暴れ出し、人びとは散り散りに逃げて気がつくとゴリラも人も誰もいなくなっていた。白い砂の地面に太陽が反射して風景は白っぽく見える。
誰もいなくなったそこにちいさい動物が1匹いる。
猫。よくみると小豆だった。
小豆は口が痛い時によくやる仕草をして、調子が悪そうだった。
あーちゃんまた痛くなった?と話しかけたところで目が覚めた。
小豆は腕枕ですやすや眠っていた。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿