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流出雑記 

強行夜行東京

2011年10月13日 | Weblog
夜行バスで新宿着。6時20分。

最寄りのマクドは同じくバスで方々からやってきたキャリーバッグを引く若者で溢れかえっていた。
あまりの混みようだったので、大学に入る前2年東京に住んだことのある夫のナビゲートで少し離れたマクドに移動する。
新発売のツナマフィンを食べた。夫はメープルシロップ風味の甘いパンにソーセージの挟まったマックグリドルというのが好きだが、私は甘いのと塩っぱいのは別々で食べた方がいいと思う。

今月29日にやるリーディング公演の会場下見に来ている。
屋外で、大体の上演時間に合わせて夕暮れ時に見せてもらう予定なので、それまでかなり時間があった。
写真美術館で畠山直哉の展覧会を見ることと、昼は恩師のカレー屋に行く予定は立てた。
カレー食べに行きますとメールを送ってみると、すぐさま電話があった。
今日ダンス公演の本番があり、聞けば出演ダンサーは恩師を含め興味深い方が多数。公演は2時から。昼食後の予定も決まる。

写真美術館の開館は10時。
8時を過ぎた頃、マクドに居るにも限界を感じ、早々に写真美術館のある恵比寿に移動。
当然早すぎてガーデンプレイスもまだ閉まっている。そのなかで開店していたスタバに入り、外に向かった硝子の前のソファに座って外を通り過ぎる人を眺めながらうとうとしたりしていると10時になった。

写真展。
鉱物の採掘場、バルビゾン派の風景画がよぎるようなフランスの風景、山の稜線、煙、写真家の故郷、被災後の陸前高田市。
採掘場でダイナマイトを仕掛けて爆破するところを連写して並べた写真。地面から立ちのぼる砂埃と飛び散る石の破片。岩肌に見える地層の、気の遠くなる歳月をかけて堆積した風景が一瞬にして砕け散るその一瞬。どこか冒涜という思いもありながらも、しかし緻密な絵のように写しとられた暴力的な瞬間に魅入ってしまう。
そして地面の振動によって波によって壊された陸前高田の街。
かつて街並をつくっていた家々を構成していた木や鉄、用途を失った家財道具たち。用途や機能を失って、もはやうまく名乗れないようなものの残骸が見たことの無い風景となって、それ以前は延々続くかに思われた日常の、文字通りひっくり返った姿としてあらわになっている。単にこれが被災地か、といって片付けられない、名前を失った風景のありさま。
それを美術館に陳列する写真で見ている私。
家族も友人も家も仕事も、私を囲うものを失わなかった私。
私が安心して私然としていられるのは、外側に塗りかためられたものによってそうなっていて、それも絶対ではなく、いつ崩れ落ちるとも知れないものではないか。崩れ落ちたときに残っている私はなんだろう、などと考えた。
生きているならば、体は残っている。残らざるをえないもの。
それだけは確かだと思った。

美術館を出て、ミュージアムショップでそれぞれ本を買い、ちょうどお昼時。
恩師のカレー屋は恵比寿から思ったより遠く、日暮里で2時から公演を見ることを考えると移動が難しかったので、それはまた次回ということにして、恵比寿でカレー屋を探した。検索して惹かれた店2件とも前まで行ったがふられて3件目、居酒屋だが本気のスープカレーやってます、という店のスープカレーを食べた。夫チキン私アサリ。どちらも具沢山で少ないように見えた米の量でもお腹いっぱいになった。

日暮里に移動してダンスを見る。
169分、大まかな構成はあるがダンスと音楽の即興公演。
寝不足だったがよくも悪くも起こっていることから目が離せなかった。見ながらひたすら考える、何をおもしろいと感じるか、うまくいっていないとはなぜそう思うのか、体の開いている、閉じているの差、自由って何か、寛容とは何か。 でも一点、間違いなく、即興は「定型のない形成への傾倒」でなければならないということはあらためて確信した。

リーディングの会場下見の時間が迫っていたため、最後の40分を残して席を立った。

池袋に移動。
地下で制作担当の方と待ち合わせ、会場となる百貨店の屋上に向かった。
16階でも電車や、地上でやっているお祭りの音は案外よく聞こえた。
実際の場の距離感、声がどれほど届くか、など検証。見る方は普段より防寒しないと冷えるだろうと思う。

2時間ほどして会場を後にし、今回のテキスト使用のことなどでお世話になっている方のご自宅に伺うことになった。
思ってもみないご馳走を用意していただいた。たくさんあるから遠慮せずと言われ、そのうえ何もかもおいしい。このところ魚中心の食生活をしていた夫の皿には骨付きラム肉の骨の山ができていた。料理をなさるイメージがあまりない方だったので、手料理のもてなしを受けた驚きと喜びもひとしおだった。

ワインで適度に酔い、帰りの夜行バスに乗った。
ぐっすりと思っていたのに、高速に乗ると私の横の窓枠ががたついて、ゴムパッキンが擦れ、鳥のさえずりのような耳に障る音がどうやっても止まず、気になって寝付けない。諦めるしかなかった。聴覚に諦めを浸透させつつ、気休めにティッシュを丸めて耳に詰めてどうにか少し眠ることができた。

夜行バスで行ってその日の内にまた夜行バスというのはやはり強行だった。

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