figromage

流出雑記 

2015/10/11

2015年10月12日 | Weblog
先週DX東寺にストリップを見に行った。数年前から機を逃し続けていた。この前はなもとゆか×マツキモエのダンス公演に出ていたストリッパーの葵マコちゃんが終演後外に出てストリップ劇場存続の危機を訴えているのにちょっと打たれたことと、ちょうど今月頭から東寺にマコちゃんが出るというので友人でダンサーの大谷さんを誘って行くことにした。
その前夜、当初出るはずだったマコちゃんは予定が変わって他府県の劇場に出ていると本人のツイッターで知ったけれどもう行く気でいたので決行した。
マコちゃんのことはストリッパーになる前から知っていて、彼女を入り口にストリップに足を運んだ友人知人は数多いと思う。行った人は軒並み良かったと言うのでなにが良いのか知りたかった。

生まれてこのかた京都に住んでいるけれどDX東寺がどこにあるのかよく知らなかった。でもその名前だけは子供の頃から知っていて、なぜかというと新聞の映画館の上演スケジュールが載っている欄に並んでいたからだった。演目を見ると映画館じゃないし、足を踏み入れることのないであろう場所という認識だけはあった。DX東寺の横にはDX伏見というのも載っていたけれど伏見の方は今はもうないらしい。

DX東寺は京都駅八条口から歩いて行ける。劇場の外観は想像していた感じのギラギラした雰囲気じゃなくて銭湯みたいなどっしりした造りだった。表に立っていたお兄さんにお金を払う。女の人は3千円。

劇場内の壁面は黒で上手と下手の壁面は鏡になっている。一番奥に袖のあるステージがあって、そこから手前に小と大のふたつの盆が並んでいる。年季の入った劇場の褪せた雰囲気にいろんな色の照明が点滅しているうら寂しさ。でもその感じがいい。映画館のような折りたたみの座席もビロードの布張りが擦り切れ、折りたたみの金具が傷んで所々座席が降りたままになっている。座席に座布団が置いてあるところがあったけれど、あれは席をキープしているという意味だったのか。
行ったのが平日2時の回だったのでお客は店の人なのか客なのかわからないおっちゃんが2、3人ちらほらいるくらいで好きな席に座れた。多分大きな盆の真正面がいちばん良い席だと思ったけれど、初心者なので遠慮して下手に座る。1公演に5人の踊り子さんが出て、そのうち2、4番目は「素人」と書いてあって、素人とはどういうことなのか、プロと素人を分ける何かしらの歴然とした差があるのだろうかと思っていたら暗転しそれは謎のまま開演した。

最初の女の子はオペラレッドのドレスに明るい色の長い髪で体は豊満だけどちょっとあどけない顔に今風の強いアイメイクをしている。奥の舞台で最初にしばらく踊ってそれから徐々に前の方に出てくる。その間に着ているものは薄くなっていく。下手の頭上にスモークの機材が仕込んであってそれが時々音を立てて煙を噴出する。
女の子は盆の上で踊り寝転がったり開脚したりしながら、時々盗んで欠伸をしたり鼻の横を掻いたりちょっとめんどくさそうにやっているのが可笑しい。そのとき客席には私たちの他におっちゃんひとりだったのでテンション上がらないのか思ったけれど、そんなふてぶてしい感じが似合う。笑うとかわいいので笑いかけられると笑い返してしまう。ポラロイドを撮る時間がある。千円払うと好きに撮っていいらしく、おっちゃんは好きなポーズをしてもらって撮っていた。

次の人が出てくる前にやっぱり正面で見ようと席を移動した。
それで次に素人の踊り子さんが出て来た。素人なので衣装が地味とかあきらかに不慣れみたいな差は見たところない。たださっきよりも踊り全体の構成が短いのでプロと素人は出演時間の差なのかと思っていたらそうではなかった。おっちゃんがそうしているのを見てどうもそういう流れだとわかったのだけれど、おっぱいに触らせてくれる時間があるらしかった。たぶん混んでいる時は客のなかの数人が触れる感じになるのだろう。気付くとおっちゃんがもうひとり増えていた。それでもいかんせん客は4人なので私たちも触れる時間の余裕があり、おねえさんにどうぞと言ってもらったので触らせてもらう。この状況で遠慮するのはここでの振舞いに通じていない者からしてもどう考えても野暮だったし遠慮するは選択肢にない感覚になっていて、別にいやでもなかった。
見知らぬ女の人の胸に触るのは、というか見知っている人の胸にも直に触ったことなんかない。手が冷たいのですみませんと言うと、いや動いて暑いからちょうどいいですよ、1日4ステって10日間って大変ですね、女性のお客さんいるって途中から気付いてあーもっと気合い入れた選曲にしたら良かったなー、女性客がいるとやり辛いですか、そんなことないけど反応が気になります、みたいなことをおっぱいに手をやった状態で数分話す。素人というのは他府県の劇場には出ずこの小屋だけに出る踊り子さんのことで、素人の場合だけタッチの時間があるのだと教えてくれた。大きな盆の一周は2分半だったか2分45秒だったか、だ、ということも教えてくれた。

おねえさんは、みんな形は違うけど私のは結構変わってて剃ってるからわかりやすいと思うけどでも外から見えないからなかなか比べられないですけどね、というふうに性器の形について普通に話した。それはこの劇場の中で解放されている要素によって起こり得ていることなのだけれど、そういう会話が成立していた。
ろくでなし子のことを思い出した。作品に惹かれないので騒動のことをなんとなくしか追ってなかったけれど、社会的にはたぶんこの隠れた場所にあってしまう、あってないものみたいにしておかなければならない、そのせいで呼ぶこともなんとなくはばかられる、あらわになるとわいせつ物と扱われるこの極端さはどう考えてももう少し認識を改めるべきだと間抜けなタイミングで憤るに至った。と言いながら自分にとってもなかなか外れない錠がかかっているし、そう簡単に認識は覆らない自覚がある。
美術モデルの仕事をもう十年以上やっているけれど、体の形状の話題が性器に及んだことはなく、なっても困るしそもそも見せるポーズをあえてはやらないし、下手に晒さない技術らしきものさえ身に付いている。描かれる場の裸には暗黙の了解がある。もちろん描くために見るのとショウを見ることの目的が異なるのでそれでいいのだけれど、ストリップ劇場という場所はそういう意味でハードルを飛び越えている公共の場として貴重なのではないかと思った。
体の隠された場所を体で開いてくれる踊り子さんたちがいてそれを公の場で共有して客は見る。その状態はいかがわしいというよりむしろあり方として健全だと思えた。
ストリップ劇場は「ここに来た客」であることを縁取る演出要素を劇場自体が既にもっていて、足を踏み入れた時点でそれが強くあり、上演が始まると舞台と客席のあいだには共犯関係のような感覚が生まれ、そういう力を持つ場所に足を運ぶ魅力というのもあった。
もしかするともっと過激な見世物もあるのかも知れないしストリップの世界の全貌を私は全然知らない。ただ今回見たものに関してだけ言うと、いま書いているような印象で、マコちゃんが単に集客の問題だけでなく、いろんな人にストリップを見て欲しいという意味を私なりに受けとめた。

おっちゃんがほんとうにうれしそうにおっぱいに触っている。それは別にやらしい雰囲気じゃなく普通に話しながら柔らかく良きものに触らせてもらう感じでそれを横でよかったねと思いながら眺め、同じおっぱいによって温められたいつも冷たい両手が温かった。

踊り子さんによってそれぞれに趣向を凝らした衣装や選曲があって、白無垢に狐の面をつけて手に提げた提灯明かりで出てくるとか、いろんな見せ方と隠し方があり、熱意も伝わって来た。ほのかに漂ってくる化粧品や香水のにおいも違う。特にその日のトリだった神谷エリカという人の選曲と構成がよくて、本人もかわいいし気さくに話してくれるので記念に一緒にポラ撮った。浅草ロック座の人らしい。

全部で2時間くらい。劇場を出てなんか甘いもの食べたいと思ったらちょうど劇場の並びに和菓子屋があり、無意識に選んだ餡入りわらびもちもまた柔らかく、食べながら帰った。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿