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流出雑記 

2015/9/5

2015年09月05日 | Weblog

写真家の中平卓馬さんが亡くなって数日経つ。
直接的な知り合いではないけれど、写真論のテキストをくり返し声に出して読んだ時期があり、本人にそれを聞かれるという奇妙な距離感のご縁があった。

2011年10月29日池袋、東武百貨店の屋上で、写真論のテキストを扱ったリーディング公演『中平卓馬/見続ける涯に火が…』というがあってそれに出演していた。同じ時期に近くの西武百貨店の屋上では維新派が公演をやっていて、東武から見える西武の屋上は季節外れのビアガーデンのような賑わいだった。

公演の数日前から池袋の駅のすぐ傍にある、排水設備に難アリで避難経路の外階段に使用済みシーツが山積みになっているくせにロイヤルと名のつく安ホテルに寝泊まりし、西巣鴨で稽古をしていて、東武百貨店の屋上で実際に稽古できるのは本番当日だけだった。

本番の日の朝。前の晩から呪文のように同じテキストを唱え続けていた。
開店とともに東武百貨店。搬入口にはひっきりなしにトラックがやってきて商品をおろしていく。ダンボール箱、ハンガーに掛かった大量の同じスーツ。働く人たちの邪魔にならないよう隅の方にいてテキストを唱え続けた。

屋上16階、快晴。日の出ている間は10月末でも暑いくらいだった。
屋上で初めて声を出す。ここで稽古できるのは16時の開場時間まで。午前中は音響仕込みがあり、通してやれるのはゲネが最初で最後だった。
地下に控室を用意してもらっていたけれど16階と地下では次元が違っているほど遠く感じるし、出来るだけ屋上にいてチューニングしたほうがいいに違いなかったので、仕込みの邪魔にならないようにうろうろしながらテキストを唱え続けた。
このリーディング公演では覚えて喋るということをほぼ全編に渡ってしていない。
最後の方に暗記して喋るところが少しあり、朝からずっと唱えているのはその部分のテキストだった。
その他は上演中ヘッドホンを付けていて、そこから流れてくる録音されたテキストの朗読を聞き、聞こえた言葉を声に出して言う、ということをやっていた。45分の上演時間中ほとんどの時間はその状態で、それはまるでスピーカーとか電波を受信して喋るラジオのように、聞こえてきた音を声にして出力する装置になったような感じで、目だけはそれとは関係なくずっと動かし続けている。ただ声はマイクを通さず、出せる限りの大きな声で喋ってほしいと演出から言われていた。いくら聞こえてくる音を聞いて喋っている状態はスピーカーのようだと言っても私はヒトなので声を出すときにはどうしても喉を、舌を、声帯を震わせなければならず、空気の入る肺も大きく動く。声を大きくするとその動き、振動は大きくなり、淡々と読むときよりも声に体を巻き込んでしまう感覚がある。そもそもうまく喋ることも出来ないしどちらかというと声も通らない。屋上でマイクを使わず言葉を客席の最後尾にまで届かせるためにとにかく何を言っているかわかる範囲で声を張り上げる。体がもたつきながら声に絡まってくるのが大変うっとうしいと思いながら、でも他に声を出す方法はない。 16階にいても地上の駅や車の音、ドラッグストアなんかの店頭アナウンスは案外ちゃんと聞こえてくるもので、それに風の音、百貨店のお呼出など声を出す場に既にさまざまな音があるから尚更必死になる。実際に屋上でやってみるまでどれ程声が届くものか演出にも私にもわからなかった。試してみると最後尾の席でもどうにか声は聞こえるようだったけれど、客席を並べてみて後ろの方の席では全然見えないことがわかり、ずっと座った状態で読んでいたものを椅子の上に立ってやることになったり、それでその前後の動きが変更される。場所との関係のなかで方法が選択されていった。

16時開場時間。15時を過ぎたあたりから昼間のあたたかさは急に蒸発して、じっとしていると寒いと感じるようになった。お客さんがやってくるのを陰から覗きつつ、冷えてくるのに対抗するための無駄な動きをしながら、朝から繰り返し続けているテキストをまだ唱え続けた。
実はずっとテキストが覚えられない。
普段は覚えなければいけないものは少なくとも人並みに覚えられる方だと思うけれど、この時に限っては全然体に言葉が溜まらないようになってしまっていた。ヘッドホンから聞こえてくる言葉を聞いて喋り続けることを日々繰り返していると、記憶する能動性が麻痺するというか、ヘッドホンを外して覚えているものを思い出して喋らないといけないときも、何も聞こえて来ないのに耳が外からやってくる言葉を待ってしまう、という書いてみるとバカみたいな困った状況に本当に陥っていた。聞こえてきたもの、そのときにやってきたものを受け取ることしかできないでくのぼう状態に仕上がってしまっていた。

演劇をするときに俳優は与えられた台詞を覚えて、それを体に落とし込む、ということをする。求められる演技にもいろんな状態があるけれど、一先ずは書かれた言葉を伝えるために必要な体の状態を探し、過不足なくその言葉を客席に伝えられるよう稽古をする。演じるということをするときには役とその役を演じる俳優は常に同時にあって、戯曲から立ち上がった芝居の時間と、それをやりながら生きている俳優自身の時間というものが平行して流れる状態にある。俳優は繰り返し稽古した戯曲の流れを上演において実際生きている時間のなかで行う。演じるということをするときにはいつもそういう重なった時間を生きる状態にある。いわゆる戯曲ではない中平卓馬の写真論のテキストの内容は演技を誘発するものではないし、その論じられている内容から汲み取れるものにしても、表現行為において特に能動的に何かを意図に満ちて表現することを否定する態度を表した言葉であったから、言葉を体に落とし込もうとすることもこのテキストを読む場合に果たして適切かどうか、ということになる。
聞こえてくる言葉を声に出すという方法はつまり俳優、言葉を伝える者、このリーディング公演においては私が、言葉を所有することなく、体に落とし込まずに「言う」ために採択された演出だった。

野外では、見えるもの聞こえるもの、風の感触、気温、におい、知覚する要素が多く、それも時間ごとに変化する。覚えて読むところは、観客席に背を向けて街の風景を見ながら読むのだけれど、実際風景を前にして読んだことはなかった。昼と夜のがらりと姿を変えた街を目の前にして、昼とは違う温度、空気のなかで読むことすら異様に不安だった。外から入ってくる情報を遮断出来ずに受けとってしまう。普段舞台で使う集中力みたいなものが機能せず延々気が散るというか、外的要因が作用しすぎる状態になっていた。単に街を借景にするようなことは不可能で、「世界は単なる客体ではなく、私は堅牢なものではない」という中平卓馬の言葉が繰り返し読んでいるうちに感覚にも同期してきたようなところがあって、準備してきたものが無効化されていく、ニュアンスや演技「逃れ去る情緒、陰影」を奪われた状態にテキストと演出と環境によって押し出されたこの体の頼りないのを連れてやるという公演なのだ、とわかったところでどうしようもないけれど本番前になってそういうことが腑に落ちた。

16時30分 日の入りの少し前に開演。

はじめ客席に背を向けている。そこからしばらくして客席を振り返ったとき、そのなかに赤い帽子の人が見えた。中平卓馬だとすぐにわかった。来るかどうかは当日まで誰にもわからなかった。

『なぜ植物図鑑か』をはじめて読んだときこの人はなんて体からものを見ている人なのだろうと思った。自らの仕事を「肉眼レフ」と呼びカメラを構えシャッターを切る。幽体離脱するように自分の体から出て見たり聞いたりすることは出来ないし、知覚は常に私を伴ってある。介在せざるを得ない私という、この在ってしまうものからしか世界をみることは出来ず、そこにありつつ私見によって世界を歪めることなく、あるがままに受けとるとはどういうことか。「私」の視線とものの視線とが交錯するところで瞬間的に焦点を結ぶ像を捉えること。どのようにしてそれは可能になるのか。「身体を世界に貸し与える」という言葉がよぎる。能動的に受動すること。変幻自在な表現技巧、そういう方法でもって何かを巧みに表現するのではなくて、「身体を世界に貸し与える」もっとよく見るために聞くために決して透明になったりしない血肉と共にありつつ、ここにいてもっとさらされることができないだろうかという欲望が芽吹いたのは上演中だった。
強固な主体としてあることを否定しイメージをまとうことを否定し、果ては図鑑と言い出す中平卓馬の言葉を繰り返し読んでいるうちに醸造されたものだと思う。書かれた言葉、さらにそれを声に出して読むことで作られてしまう状態の影響力を思い知った公演だった。ちなみにずっと唱えていた、最後の記憶して喋るテキスト部分はどうにか口が喋ってくれた。

上演中に日は沈んで行く。16階屋上から見える池袋の街には徐々にあかりがついて風景は様相を変え、終演する頃には完全に夜の姿になっていた。ビルの上の角々に明滅する赤いランプは呼吸のリズムのようで、道路に連なり流れていくテールライトは血をかよわせる。街は巨大な生きものだった。

終わってから会うことは出来なかったので上演中に客席に見えたのが最初で最後の中平卓馬だった。

https://vimeo.com/121643489