2022 備忘録

思いついたことを書き残す。

小春日和

2020年11月15日 | ひとりごと

日差しが強く、久しぶりにカーテンを開け陽光を室内に取り入れる。とにかく寒い部屋なので冬支度というか窓はヒートロスの最大の原因だから締め切ることが多くなった。
一人しかいない部屋だから改めて換気する必要もない。ただ換気すればよいということではない。夕方散歩に出る。広瀬川はあい変わらず水が止まったまま。溜まった水で遊ぶ水鳥が近づいたら慌てて遠くに行ってしまった。
紅茶のリバティで生姜入りのミルクティーをいただく。そういう季節になった。

雪とサーブ

2020年11月13日 | ひとりごと

昨日ブログに朝、雪が積もったサーブの画像を掲載したら目ざとく友人が見つけてビフォーアフターに出演したことを思い出してくれたそうだ。
この友人は自分のミスタッチを時々指摘してくれるのだが今日は新発田まで行って安田瓦でTV番組を思い出したのだとか。



社用車ではあったが私公混同の経営者の生活にいつも共にあった。最後は二度上峠で変速機故障が露呈し、やっと引き返し、その後退役した。
TV出演した2014年の秋のことだった。10年間、20万キロの付き合いだったがウオーターポンプの交換以外これと行ったトラブルもなく、非常に頑丈な車だった。
人とのつながりもサーブを介しての便りもまた人生の一コマである。

撮り直し

2020年11月12日 | ひとりごと
SONY-α7Ⅱ+Sonnar T* FE 55mm F1.8 ZA

月曜日に撮影した場所を再撮影。久しぶりに55mmf1.8の単焦点で撮り直す。手持ちでのRX100m6だったから手ブレも加わり解像感が今ひとつ。
今日は三脚固定でレリーズでシャッターを切るという万全の体制。ただ妙にカメラとの一体感にかける。レリーズを作動させるのがただのマイクロスイッチ。かつてのように機械式ではない。
そもそも背面ディスプレーで画角を決めるということになってしまい、この点は膝当てを装着していなかったミス。結果はというと相対して変わらない。近接であればレンズの特徴である高解像感が得られたのであろうが絞り込んでも被写界深度を掴みきれず。それでも撮った感は強く残る愛すべきα7Ⅱであった。


SONY-α7Ⅱ+FE 24-105mm F4 G OSS SEL24105G

昼食に「カフェアウル」による。山の中を少々歩いたのでお腹もすき、野菜カレーをいただく。上越国境の山並みはもう真っ白。冬はすぐそこまで。

仕事

2020年11月10日 | ひとりごと

仕事場に戻る。といっても明日仕事をすれば又休み。年相応のペース。この仕事をするにはちょうどよい。
決まった時間で仕事から開放される生活も4年近くになり、気持ちもようやく順応してきた。さてこれからの時間、どうしよう。

JIAの役職も来年でほとんど終わる。この会はやはり現役の人がやるべきだ。建築家という仕事は24時間体制の仕事。これをずっと続けられるのはかなりの適性が求められる。
その覚悟が持てなかったら周囲に迷惑をかけないうちに身を引くのが一番。寂しいことではあるが。と、紅葉を見ながらため息。

法事

2020年11月08日 | ひとりごと

粕川の母方の親戚、母の義理の叔母の一周忌に参列した。当主は母親といとこだが自分と同じ年。兄弟の多かった時代ならではだ。
過疎化がすすんだ集落は店じまいをしたままの家もあり、かといってかつてはたくさんあった養蚕農家独特の赤城型民家も見当たらない。普通の農村風景だ。
小さい頃はよく遊びに行った家である。一人でバスや電車で行ったこともある。曾祖母の葬式は自宅で執り行われた。今日は神式だったがその時はのぼり旗を立てて庭をぐるぐるジャンボンとならしながら廻り、そのまま座棺を担いであぜ道を行列を作り墓地に土葬したように記憶しているが宗教が違う。後で調べてみよう。稲刈り後には庭にわらが敷き詰めてあった。庭を作業場が南側と西側、東側に便所と家畜小屋が庭を囲むように建っていた。今日は両親も一緒、ちょっと小さい頃のことを思い出した。

場所の記憶 想起する力|展覧会|アーツ前橋

2020年11月05日 | ひとりごと

群銀の坂下にあるアーツ前橋の「 場所の記憶 想起する力|展覧会|アーツ前橋」を観た。
前橋にちなむ作家を始め前橋の歴史にも触れる展示内容。物故作家の中には直接教えていただた小見辰男先生やお世話になった金子英彦さん等懐かしいものもあった。
キューレーターが前橋にちなむ作品をよく掘り起こしたものだとも思う。郷土作家は残念ながら時代の流れの中に消えていってしまうことのほうが多い。
この場所一体はアメリカ軍の空襲で焼けの原になってしまった地区にあたる。場所の記憶の断絶のある地域である。前橋空襲の資料も展示されておりいつもの展覧会とは少し違った趣。
現代美術が単に視覚的な感性から物語性に軸足を移してしまっていわば頭で組み立てる芸術。建築表現もそうであるが。

ちょうどすぐ近くで藤本壮介の関わっていた白井屋ホテルがようやく完成する。木造の白井屋時代は著名人が投宿する前橋を代表する旅館だったが鉄筋コンクリートに建て替えた頃から新幹線や高速道路の影響もあり首都圏から日帰りエリアになってしまったことも響いたものと思われる。締めてしまった。それでも金融機関もテナントで入る立派なビルだったから今回のコンバージョンにも耐えられたようである。
せっかく貼ってあった小口磁器タイルを剥がし荒々しい表情に変わってしまって少し痛々しいがこれもただきれいなだけでは満足しない現代美術的観点なのであろう。
アメリカのポップアートを思わせる装飾が金融機関が立ち並ぶ本町通りには異質な感じを受ける。金融機関出身のJINSの田中さんの何某かの意思表示のようにも見える。


今日も黙々と仕事。

2020年11月04日 | ひとりごと

昨日に引き続き仕事に追われて昼間の時間を過ごす。お昼は近所の「オリーブ」。ほっと一息つく。
井野駅で乗り降りしなくなって8ヶ月が立つ。ローカル線とはいえ前橋、高崎間の通勤通学時間帯はそれなりに混む。座れないのは運動不足解消に良いとはいえCOVID-19二感染したのではかなわないのでつい足が遠のく。
こんなに鐵道を利用しないのは何年ぶりだろうか。JIAの行事で定期的に東京に通うようになったり、都内の仕事で出張だったりと回数は少ないとはいえ随分と乗った。
昨年は特に乗った。横須賀線から217系が引退する前にぜひ行きたいのだが。

文化の日

2020年11月03日 | ひとりごと

文化の日なので建築文化に親しむ。といってももくもくと一人で仕事場。今日休むと今週は3日しか仕事しないことになるので帳尻合わせと言ったところ。一人きりなのでブルートゥースのミニ音源を持ち込んで遠くにおいて大きな音でスマートフォンのSDカードに収納した曲をひたすら流す。近くで小さな音でも解像感はあるのだが吹き抜け的な大きな容量の部屋で間接音を交え聞くと結構立派なオーディオ装置となる。かつて夜なべ仕事のときはよく聞いたものだが、若い人たちには聞かせたくない気恥ずかしい曲ばかりなので最近は出番がない。

もっともこの秋から乗っている乗用車はアイドリングストップだし、結構静かなので「皇帝」など聞きながら出勤。元気が出る。フィンランデイアや威風堂々も景気付けには良い。さらにはクシコスの郵便馬車、東京オリンピックマーチ、なども朝向き。究極は「扶桑歌」だがこれは色々問題のある曲だから人には聞かせられない。東条英機と雨の明治神宮外苑競技場だから。耳に残る曲ではある。

散歩

2020年11月01日 | ひとりごと
夕方から広瀬川の右岸を散歩。諏訪橋から柳橋まで歩いて箪笥屋横丁を源英寺の墓地沿いに風呂川まで上り東照宮の前から清心幼稚園の前を裁判所通り、県庁前通りとぐるっと市街地中心部の外側を歩く。
東照宮はなんでも江戸時代のお宮、それも松平さんがわざわざ川越から持ってきたものに覆屋を設け結婚式場らしきものを建てるとか。県民会館といい、群馬県民の民度の低さには飽きれるばかり。
前橋の街が錆びれるのは都市のアイデンティティ、しいては自らのアイデンティティを大切にしていないから。少なくとも中世から続く街である。もう少し誇りを持とう。と、古い道を歩きながら思う。

深夜食堂

2020年11月01日 | ひとりごと
アマゾンプライムで「深夜食堂」をみていたらちょうどハロウイーンのシーンが出てきた。古いブリテン諸島つまりGBを発祥とする祭事だが、なんでもOKの日本でも馴染みのある行事になった。
「深夜食堂」を見ていると今年亡くなった「きさく」の健さんをつい思い出す。あんなふうに常連が集まり、また友人の輪を広げることができた店だった。
健さんのまわりは映画監督や詩人など文化人系の人も集まり、やや気難しい店でもあったがそれはそれで適度に心地よかった。
今はおでんの季節だ。店終い間際には丁寧に種を取り出して管理していたのを思い出す。居酒屋だから「深夜食堂」のメニューに重なるものも多い。雪の晩、店の前で雪合戦に興じたこともあった。
温かい日本酒で温かいつまみでホット一息つきたい季節。そんな場がなくなって久しい。隙間が空いたままだ。店で携帯電話を取り出すのを嫌がる雰囲気のある店だったから思い出そうとしても画像が少ない。