鬼は外 瓦の上の 鬼瓦
馬糞 Bafun
小正月前であるが、節分である。
「鬼は外、福は内」というが、「男は外、女は内」という節分をしては
いかがかと思う。
外に出る女は、男を演じざるをえない。
いわば、宝塚の男役である。
男性とは、競争社会で働く、力仕事をする、命のやり取りをするとい
う性質ないし役割を言うべきかもしれない。
子供を産み育て、家庭を護る繊細な優しさが女の性質である。
男と女の進化は、役割分担を伴うものである。
そういえば、母子家庭の多いことよ。
子供の心が傷ついている。
一人二役には嘘が見えやすい。
役割分担がなければ窮屈だ。
離婚やむなしの事態もあるが、思いやりを忘れて欲しくない。
結婚もこれ、修行である。
家庭の調和を望んで止まない。
内にいるべき福がいなくなれば、さて、誰が豆を撒くのだろうか・・・。
【 おお、相撲よ、維新革命を受けよ 】
折角横綱として再定着し、久々に優勝までして健在振りを披露したと
いうのに、今度は暴力沙汰で、またマスコミの餌食になっている。
朝青龍だけの問題ではない。
相撲協会までが理事長選出問題でもめている。
派閥の論理からは予想外に、若手のホープ、貴乃花が当選となった。
派閥の掟を破って派閥外の貴乃花に投票した親方は、角界引退とい
う、いわば切腹を余儀なくされて波紋を広げた。
結局、国技の相撲が、伝統と革新の狭間に揺れている。
確かに、無責任かつ他人の不幸を喜ぶという悪魔的なマスコミ人間
の餌食になっている事態であるし、伝統が崩壊している事態である。
しかし、マスコミによって興行が成り立ってもいる。
また、力士は既に外国人を入れて横綱を守ってもいる。
ということは、既に旧来の伝統ではなくなっているのだ。
変わってはならない核心的伝統と、変わらなければならない新陳代
謝の部分を見分けなければならない。
日本の国技として核心的部分とは何か。
それは、心技体という色心不二の思想、神聖を汚すべからずという
神道的清めの思想、そして、礼節という伝統武道の思想である。
こうした日本の伝統的美の精神が国際的に広がることは喜ばしいこ
とである。
国技に伝わる伝統精神とその表現様式こそは、力士たる者は日本
人も外国人もこれを理解し、了解し、会得しなければならない。
ただ、強いから横綱ではない。
伝統精神を害し、国技の面目を害したならば、その責任は取らなけ
ればなるまい。
マスコミを規制する必要があるが、マスコミに晒される限りは、気を
許してはならない。
そのことを前提とした面目であり、国技の伝統でなければならない。
そうした見識と判断力が求められているのが協会理事長である。
マスコミ対策としては、取材を全て有料制にして、力士の給料を取材
料で賄うくらいのことをしてはいかがか。
契約をかわし、報道規定を盛り込むこともできる。
海外のメディアには格安で放送権を提供すればよい。
相撲は動画サイトのWeb観戦で十分間に合う。
只で取材させ、報道させるから餌食になるのである。
国技を芸能人並みの取材フリーにしてやりたい放題の芸能ニュース
扱いにされては、国技の神聖を害するであろう。
まさに、国辱となる。
切腹覚悟の投票を得て理事長に就任する貴乃花には、国技の権威
を毅然として世界に発信していただきたいと願う。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi