我が宿の めじろ遊びぬ 梅祭り
馬糞 Bafun
どうやら春一番が吹いたものらしい。
少し下がったとはいえ、外気温12℃の朝である。
ニワトリのメジロも遠出をするようになった。
満開の梅である。
元の絵におさまらねばなるまい。
さて、我が家のメジロは何処。
梅を見るのも楽しみである。
とはいっても、出かけるわけにも行かない。
「坂の上の雲」第八巻に突撃しなければならないからである。
凍土の奉天の春は、未だ遠い。
われ未だ日露戦争にあり・・・。
■九州の梅祭り■
⇒ http://www.joy.hi-ho.ne.jp/ma0011/ume/aria-10.htm
人吉梅祭り(~3/7)
⇒ http://www.welcomekyushu.jp/event/?mode=detail&isEvent=1&id=9999900001628。
牛尾梅林
⇒ http://www.sagasubanta.com/sagayoyo/yokatoko/ushinoobairin/
【宗軍経協同】
「宗軍経協働」とは、国際競争社会における国家のあり方について、
宗教と軍事と経済が愛国心と日本の使命に心を一つにして、それぞ
れ教え、守り、発展するという役割を持って力を合わせるという考え
方をいう。
ちなみに、軍とは政治でもある。
「宗軍経協働」とは、祭政一致、軍経一致、祭経一致を基本要素と
する。
祭政一致とは、「民主主義といえども仏と法の下にあり」という天意
を問う政治のあり方を言う。
軍経一致とは、政経一致といってもよいが、政治とは軍事でもあると
いうことを強調すべき意図から、軍という言葉を用いている。
軍事力なくして経済の自由はない。
軍事力なくして政治的友愛もまたないというべきである。
さらに、経済は国家を離れて自由なのではない。
経済もまた、愛国心(国益)に沿って、日本の使命を果たすべく行動
するべきである。
日本に核ミサイルを向けているチャイナに尻尾を振って金儲けをする
ことが、果たして国益に沿うことなのか。
日本を辱めても朝貢すべきなのか、良く考えることだ。
売国奴となってはならないのである。
そして、「祭経一致」ということも大切である。
神も仏も無い経済とは、弱肉強食、拝金主義の経済を意味する。
日下公人氏の「道徳なくして経済の花は咲かず」という主張も同様の
趣旨であろう。
経済活動のインセンティブは豊かさの追求ないし自己実現というとこ
ろにあるであろうが、人間存在自体が人間関係として存在しているこ
とを考えても、豊かさとは人間関係の豊かさであり、他人を豊かにす
る活動に他ならない。
マズローの「自己実現」も、社会貢献という役割意識を実現すること
にこそある。
自己とは、他人との関係を離れてはありえないことであり、それは
使命に他ならなくなるのである。
こうした国家のあるべき原点に立ち返っておおいに反省すべきである。
反省なくして発展はないのであるから。
【日本を愛するという旗印を立てよ】
鳩ポッポ政権は高等学校学費無料化政策の一環として、反日を貫
く朝鮮高校(北朝鮮系ナショナリズムの民族学校)も例外ではないと
している。
実はそこが目的なのかもしれない。
地方自治については、中国人や朝鮮人にも選挙権を解放するといっ
ている。
実は、これが彼らの「愛国心」なのかも知れない。
民主党の鳩もオザワもカンも社民党のフクシマ党首も元党首ドイも
在日朝鮮系なのだそうである。
もちろん、帰化しているのではあろうが、母国は変えていない可能
性が高い。
その筋から「友愛」といわれても困るのである。
たしかに、日本が外国人に解放され、他国の領土となれば、中国も
北朝鮮も韓国も喜ぶことであろうが、それを「友愛」というならば、きわ
めておぞましい売国奴政権の思想というべきではないか。
NHKなどのマスメディアも民主党も自民党も、金で買収される権力
団体である。
しからば、信用することはできないであろう。
買収されない者というのは、国を愛することにおいて純情である。
田母神氏に代表される軍人も純情である。
幸福の科学や幸福実現党は純情と叡智に輝いている。
これに対して、愛国の旗印を立てていないものは、ましてや国旗を
二分してつなぐ民主党や、国旗に敬礼することを拒否する日教組公
務員やその母体というべき社民党、共産党は、まさに獅子身中の虫
にほかなるまい。
国益を損なう者を上に立てれば、国は貧しくなり、滅亡するに至る。
亡国の選挙の愚を二度と繰り返してはなるまい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi