柿の葉に はがきしており 里のこと
中村 梅士 Baishi
庭の柿は、もう、葉っぱ一枚を残すのみとなった。
先日の冬一番で散ってしまったらしい。
しかし、ここ数日は穏やかな秋日和である。
夜中の外気温も18度程度、耳を澄ますと、ちらほらと虫の
声が聞こえた。
冬ごもりの扉を少し開いて、最後の秋を惜しんでいるのだ
ろう。
さて、柿の色模様は複雑だ。
文字にあらわあせない思い出が、模様をたどる。
あれやこれやと、思い出される。
なかなか吹っ切れないのは、まだ、時間が過ぎていないせ
いだろう。
さて、このはがき、やっぱり、風に吹かれて行くのが良か
ったかもしれない。
この世にさしたる未練もないとおもうが、書店の歴史書、
哲学書、教養書の前に立つと、し残した学びの無限の大海に
心がはやる。
読みつくしたいものだ。
学びつくしたいという思いを残して、この世を去ることで
あろう。
しかし、そればかりではあるまい。
かくもふがいない日本となったのであれば、八百万の神々
と共に、最後の一戦を交える覚悟で白刃の剣を抜き放ちたい
ものである。
武士道というべき姿を残してこの世を去りたいものである。
さて、如何。
【サッカーにスポーツマンシップはあるのか】
11月3日に行われたヤマザキナビスコカップ決勝戦に敗れた、
サッカーJリーグの川崎フロンターレの選手の無礼無作法が大
問題になっている。
負けた悔しさからからか、表彰台にガムをかみながら上が
る、すぐにメダルをはずす、握手を拒否するなど、およそ、
スポーツマンとしてあるべからざる無礼無作法下品を観衆の
前に晒したからである。
いまさらのことでもない。
高校のサッカー部でも、最も下品でマナーが悪いというの
が通り相場であるらしい。
それが、サッカー文化だと思っているのだろう。
つまりは、サッカーそのものが下品なスポーツではないか
とさえ思う。
野球もバスケットも、選手の下品な行動が日常的である。
アメリカ文化なのか、大衆文化なのか、大衆スポーツは下
品である。
そういうと、何を言うかというむきもあるだろうが、事実
であろう。
もともと、スポーツは貴族の教育科目だった。
日本の武道もそうであり、英国もそうだった。
勝敗よりも、武士道ないし、騎士道精神が問われた。
スポーツマンシップというのは、スポーツに内在するもの
ではない。
スポーツを通して、競争のあり方、自己鍛錬、礼儀作法を
教育するための文化だった。
ところが、大衆スポーツになってからは下品さが目立つよ
うになる。
大リーグのプロ野球選手をみても、下品である。
勝利至上主義、商業主義が、スポーツマンシップを軽視し
たのである。
もう一度、スポーツ競技の神聖、スポーツマンシップの武
士道、騎士道、美学というものを教育しなおさなければなる
まい。
川崎フロンターレの選手は、本来、スポーツマンの資格が
ないのだ。
もしかしたら、サッカーそのもが、スポーツ文化というべ
き資格がないのではないかということを、問われるべき良い
機会ではないか。
野球もまた、しかりである。
ガムをかみながら試合をするな。
紳士的な教養と振る舞いを選手の条件とせよ。
スポーツの神聖を侮辱するな。
プロならば、スポーツの神聖、美学、武士道精神というべ
き真剣を示すべきである。
スポーツの堕落は、教育の大きな損失である。
見せしめとして、厳罰に処することを望む。
そして、スポーツ教育を根底から見直す機会としてほしい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
梅士 Baishi
川崎、ナビスコ杯決勝後のマナー問題で謝罪
⇒ http://www.sanspo.com/soccer/news/091104/sca0911042216012-n1.htm
『Jリーグ1部(J1)の川崎は4日、ヤマザキナビスコ
カップ決勝後に所属選手が表彰直後にメダルを外すなど、行
為・態度が悪かった問題について、公式HPで謝罪した。
川崎は、「首にかけて頂いた準優勝メダルを外す行為」、
「握手を拒む行為」、「壁に寄り掛かる、しゃがみ込む行為」、
「ガムを噛みながらの表彰式参加」と4点の行為が判明した
と発表。
武田信平代表取締役社長は「弊クラブ所属選手の行動で皆
様に大変不快な思いをさせてしまい、ご迷惑をお掛けしまし
たことを深く反省し、心からお詫び申し上げます」と謝罪。
「今回の首にかけて頂いた準優勝メダルを外す行為、握手
を拒む行為などについては、一人の社会人として、また、ス
ポーツマンとしても大いに恥ずべき行為であります。このこ
とをクラブとして重大に受け止めております」とコメントした。