この島に 釣りし日もあり 冬の青
馬糞 Bafun
君が手も まじるなるべし 花すすき
俳諧師、向井去来が長崎街道の難所、日見峠あたりで
詠んだ名句である。
これに由来して、すすき塚という地名を残した。
今では新しいトンネルができて、歩いて越える峠では
なくなった。
その日見峠を越えて下ったところが、網場Abaである。
さらに、かつての宿場町矢上を海岸沿いに入り込んで
行くと、牧島という半農半漁の島がある。
イチゴとイリコが産物だった。
その島によく釣りに出かけたものだった。
はやる気持ちを抑えながら、きわどい岩場を越えて釣
りポイントの畳岩まで渡ったものだった。
その畳岩は潮が満ちると海没し、帰れなくなる。
その緊張の場面が時々夢に現れる。
思えば、青春などではなかった。
青い冬、青冬であった。
その島に、30数年ぶりに立ち寄った。
思い出の釣り場がどこだったかは分からなかった。
その代わり、新しい発見があった。
曲崎古墳群である。
古墳とは言っても、聖徳太子あたりの時代だから、少
し古い時代の墓という程度ではあるが、飛鳥村の古墳、
石舞台の時代だから、やはり古墳なのであろう。
海族の 古墳の磯に 風巻shimakiして
馬糞 Bafun
古墳といえば、当時の貴族、豪族の墓と相場が決まっ
ているが、曲崎古墳は、村民の共同墓地という風情であ
った。
海岸の丸まった石を運んで、小さなストーンサークル
を配列した感じである。
かつては、倭寇として恐れられた水軍の一部族であっ
たかもしれない。
日ごろは漁民とも言うべき九州の海族が、大陸中国を
威圧していた時代があった。
そう思うと、古墳の小さな石が誇り高く、気高く見え
てくる。
ああ、現代日本は、倭人は、どうしてしまったのか。
人間は蟻ではないというのに、
「安い労働力」と言い習わして、飼いならしているつ
もりなのか。
15年後には、日本はなく、中国人たちの島になってい
るであろうに。
その日のために、憲法改正をできなくし、政権を弱体
化し、政治を罵りあっている。
世界国家の理想のために、国を明け渡すのが崇高な平
和への道であるというように、残りわずかな日本の春を
祝いあっているのである。
公務員だけではない。
主権国民のリストラも急がねばならない。
国家と地方を問わず、選挙を3回怠った者は、選挙権を
失うというリストラ法を是非制定してもらいたい。
J.D.Subunroco.