ふんどしを 締めて博多の 汐をとり
梅士 Baishi
9日の夕方から山笠の男たちが走りだした。
全流れお汐井とりである。
そして、10日の今日は夕方から舁き山が走りだす。
流舁きである。
いよいよ、博多祇園山笠がクライマクスの追い山めがけて走りだす
のである。
10(水) 流舁き(夕方)
11(木) 朝山(早朝5時~)
12(金) 追い山ならし(16時~)
13(土) 集団山見せ(15時半~)
14(日) 流舁き(夕方)
15(祝) 追い山(早朝4時59分スタート)
それにしても、早朝から暑い。
クマゼミが大々的に鳴きわめいている。
姿は見ないが、大いに大いに夏である。
あ、そうだ、東京のお中元を忘れないようにしよう。
【 学校体育の形骸化 】
スポーツ社会学として、学校体育の形骸化を警告している。
特に幼稚園、小学校低学年の時期における多様な運動教育は運
動神経の発育に欠かせない。
幼児向けの英語や英才教育などは有害である。
遊びをとおした運動教育こそが優先されるべき時期だからである。
ところが、小学校においても体育教育のできない一般教員が体育
を担当して放置している。
これでは運動嫌いが増えるはずである。
中学校体育からダンスや武道を取り入れても既に手遅れなのである。
これまで、知育優先教育のあおりで体育が軽視され、形骸化したと
言う文脈でとらえていたが、そうではないことに気付いた。
なにしろ、知育も形骸化しているからである。
結局、知育と体育は教育の両輪である。
体育の形骸化は、教育そのもの怠慢、形骸化だったのだと言うこと
に気が付く。
ゆとり教育ないし、生涯教育がその象徴である。
教育の形骸化を生涯教育などと取り繕ってはなるまい。
公務員教員制度の廃止、教職免許制度や学校法人法の廃止を求
めたい。
教育を公務員社会主義のシステムに任せてはいけない。
教育の民営化、これが急務である。
文部科学省は教育にとって有害である。
廃止するべきであろう。
教育の基本は、文武両道の原点に戻るべきである。
寺子屋教育の精神に戻るべきである。
教育を自由化し、民営化せよ。
学校の公設民営化を求めたい。
立憲女王国・神聖九州やまとの国
幸福実現党応援隊・ 梅士党