梨の実に 都会育ちの 手を伸ばし
馬糞
子供のころ、大島から船に乗って一時間の佐世保は大都会だった。
四ケ町のアーケードには、大書店があった。
大学への憧れがあふれていた。
その先には、都会の象徴だったデパートの玉屋があった。
エレベーターガールが、白手袋を細く伸ばして各階を案内した。
屋上には遊園地があった。
そして、レストランで昼飯を食べるのが最高の贅沢だった。
ミルクシェーキなどは、映画の主役のような気分で注文した。
島原の父方の実家は農家だった。
夏休み、遊びに行くのは楽しみだったが、何もかも田舎で、馬がいて、
牛がいて、鶏が走り回り、恐るべき家蜘蛛も不気味に走っていた。
そこでは、自分が都会から来た子供だった。
何をするにもぎこちなかったが、文化の香りがした。
田舎には、都会の憧れがある。
都会には、田舎の憧れある。
田舎は都会の憧れを受けとめる力がない。
競争による洗練がないからである。
田舎から都会への一方通行が過疎を広げている。
官僚社会主義の農水省と、補助金農業社会主義が結んで、イノベー
ションを妨げているのである。
農水省廃止すべし。
農業補助金制度を廃止すべし。
官僚たちは、小作農業をすればよいではないか。
農家は農業株式会社のパートで働けばよい。
もはや、農業社会主義を温存するわけにはゆかないのである。
Bafun