ユリの花 手招きするも ついて来ず
中村 梅士 Baishi
あちこちの庭先にも、見事のあじさいや百合の花が咲
いている。
オニユリならばムカゴをとって蒔けばどんどん増える
が、白百合などにはムカゴはなく、球根を取らなければ
増やせないのだろう。
金星のユリ人ならば、足が付いていたから動物のよう
に歩いて移動できたという。
その連想で、もしかして付いてこないものかとテレパ
シーで手招きしたが、すっかり植物状態のようだった。
今年はオニユリがあまり育たなかったが、日の当たら
ない場所に移動したからだろう。
来年は、香りの良いユリの花を植えてみたい。
吹田市の交番襲撃犯は今朝スピード逮捕となったが、
精神病を装って犯行を否認しているという。
憑依霊が付いているのだろう。
仮にそうだとしても、責任能力は完全にあると考える
べきである。
そもそも責任能力とは、犯罪実行行為にあたって、規
範意識を持ちうる能力だとされている。
自由意思がなければ、法的非難可能性も根拠がないと
いう思想である。
しかし、周到に計画したり、捜査を逃れる行動があれ
ば、犯罪意識は十分にあるのである。
犯罪抑止が事実上困難だったという事情があれば、責
任能力がなかったとして犯責を負わせられないこともあ
りうるだろうが、極めて例外的に解釈されるべきである。
仮に、精神障害の認定を受けて、それが犯罪責任能力
がないというレベルだというなら、自由に徘徊させては
ならないというべきであろう。
今回の犯罪は、責任能力に問題はなかったと言うべき
である。
自由が与えられていた以上、責任を負担すべきである。
死刑が相当であろう。
因みに、死刑が確定した囚人がいつまでも死刑執行さ
れないでいるのは法務大臣の怠慢である。
直ちに、死刑執行するべきである。
死刑執行しないのであれば、その理由を国民に申し開
きするべきである。
刑法理論は見直されるべきである。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
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