秋深し 青春映画に 感傷し
中村 梅士 Baishi
九州男児は日本でも一番涙もろい人種なのだそうであ
る。
しかし、共感の涙を流すことは眼の健康にも、精神衛
生上もよいのだという。
そこで、昨日今日と、青春物やスポ根漫画の実写版を
固め見した。
硬式テニスの『エースをねらえ』シーズンワンをエピ
ソード9まで見終えた。
うっそ~と思いながら泣けた。
続いて、野球ものの『タッチ』を観た。
これも泣ける場面があった。
まことにもって漫画的なのだが、その世界に入り込ん
でしまうのがスポ根ものである。
そして、泣けてくるのである。
自分にはそんな青春はなかった。
勝負を嫌い、勝負を避けてきたように思う。
それが自分の弱点になっていると思える。
競技スポーツは克己心と勝負強さを養ってくれるもの
である。
ただ、遅ればせながら30歳ころから人並み以上に水泳
に打ち込んだことは、かろうじて人並みの自信になって
いる。
200m、400mの個人メドレー、1500mは得意だった。
学生たちとバスケットやバレー、卓球、バトミントン、
テニスなどを楽しんだことでスポーツの楽しさを体験す
ることもできた。
最近は10km程度の山歩きやジョギングができるよ
うになった。
『エースをねらえ』を観終わってジョギングに出た。
その勢いでか、10kmジョグでガーミンの新記録表
示が出た。
メンタルはパフォーマンスを高めるものだ。
ドーピングを打ち破る鍵も、メンタルにありそうであ
る。
スポーツ根性ものは、やはり人間の憧れなのだと思う。
憧れだから価値がある。
スポーツ選手の経験は人間としての魅力である。
スポーツはこの世の肉体あってこその試練であり、喜
びである。
死ぬまでスポ根の補習をするとしよう。
マスコミの覇権は打ち砕かねばならない。
政府への批判勢力ではなく、単なる反日左翼メディア
に過ぎない。
そもそも、消費税増税や相続税増税などの増税政策へ
の批判がないのだからあきれる。
なぜ、企業のようにスリム化しろという議論がないの
か、あまりにも不自然である。
民主主義を支える報道の自由ではなく、選挙を支配す
る報道の支配であり、民主的統制を受けない独裁権力に
他ならない。
国民の知る権利に応えるべき公正さが求められるにも
かかわらず、幸福実現党の報道を封じているのは異常で
あろう。
同様に、チャイナ批判も封じている。
代わって、トランプ大統領非難報道ばかりが目立って
いる。
ロシアとの安全保障条約の働き掛けを一蹴し、代わっ
て、習近平との蜜月に舵を切ったことをまともに批判す
る論調もない。
どうせ、新聞など、高齢者があの世のベビーブーム世
代になってゆけば、購読する国民など激減するのだ。
大衆が新聞を購読していたのは、それが知的習慣だっ
たのと、テレビ番組表と折り込みチラシが目当てだった
のだから。
テレビの支配は今も残ってはいるが、視聴率は確実に
地盤沈下しているし、CM収入も激減している。
NHKをバイパスするテレビや、ネット配信の動画がテ
レビで標準的に見られるようになれば、テレビ放送は立
ち行かなくなる。
多様性と双方向性は、放送局の独占を打ち壊すであろ
う。
権力に必要なのは信用である。
政治家にも、マスコミ人にも、その信用がない。
「週刊誌と共に去りぬ」という連載小説ないし連ドラ
でも起案してはいかがか。
諸行無常は、掃除力でもあるのだ。
日本国独立宣言・神聖九州やまとの国
New Asia Happiness Party