麦秋の 黄金の風は びわに染み
馬糞 Bafun
麦秋の季節である。
麦畑を見ることもないが、黄金色の風が吹いているのだろう。
いよいよ、夏になってゆく。
そんな季節に、鉢植えの枇杷が初めての実をつけた。
メジロが遊んでいた頃、初めてびわの花が咲いていた。メジロも
ヒヨドリもいなくなった頃、びわの坊主が青い実をつけた。
どうなるのかと思っていたら、黄色くなっていた。
苦節10年、種から育った鉢植えの枇杷が、初めて実をつけた!
宝物のようにいたわりつつ、水をやった。
ところが、覗いてみると、どこかの鳥が穴をほじって食べて
いた。
残った実を一つ、世紀の一瞬のように口に入れた。
ああ、おいしい!枇杷の味だ!
近くでチュン、チュンとスズメが鳴いている。
きっと、話題になったと思う。
【激動時代の老後】
NHKスペシャルで、チャイナ国チンタオの老人ホーム事情を見た。
NHKは社会主義的な問題提起をする変な独立行政法人的放送局
である。その性か、チャイナ取材にはルートをもっているようである。
チャイナは日本の過去の問題点を誇大に見せてくれる。その意味
では、日本人に反省の材料を提供してくれている。
チャイナに老人ホームがあるというのも驚きだが、老後のあり方、
親子関係について、考えさせられるものがあった。
激動の時代、離れて暮らしていた老いた親と、一転して同居をす
るというのは辛いものがあるだろう。
ライフスタイルがあまりにも違いすぎるからだ。
しかし、親を老人ホームに入れるというのは罪な話である。まして、
郊外の交通不便の地に姥捨て山よろしく建てられた施設であって
みればなおさら、いやな話だ。
老後には、三段階あるのではないか。
第一段階は、貧しくて、忙しくて、若いときに没頭できなかった趣味
を、思いっきり楽しむことだ。
山登りをしたり、少しいい楽器を買ってギターを弾いたり、海外旅
行をしたり、思いっきり読書をしたり、畑を耕して鶏を飼ったり、
田んぼに鰌を植えたり・・・。
因みに、農業は老後の娯楽スポーツにもなるなぁ。それをいいこ
とに、農家が本来の農業を観光業にすることは許されるべきではな
い。あくまで、離農した農地の活用法として、提供されるべきである。
第二段階は、残りの人生を社会貢献事業に提供することである。
年金やらで不労所得が保証されている恵まれた引退世代は、
自分の子や孫以外の世の中のために、あるいは、海外の子供たち
のために、貢献の人生を送るべきである。恩返しだ。
内閣は、退役公務員に呼びかけて欲しい。退役公務員たちよ、天
下りに頼らず、あるいはパチンコに暇をつぶさないで、潔く、残りの
人生を社会貢献に尽くして欲しいと。
そうすれば、ごくつぶしだった公務員も、もしかしたら天国に帰れる
かもしれない。
大切な人生の、大切な前仕上げである。
そして第三段階は、精神世界の学びを深めて、死後の世界に旅立
つための穏やかな研究生活に没頭することだ。
祈りの生活といってもよい。
信仰生活で人生を締めくくれることは幸せなことである。
そして、ぽっくり死ねることが、信仰生活のご褒美となるであろう。
だから、親子の関係は、味噌汁が冷めない距離に隠居するとい
うのが一番バランスが取れているかもしれない。
都市計画も、そうしたことを配慮して設計しなければならないのだ。
年老いてから、悲観し、心配し、ましてや恨みつらみで生きてはな
らない。健康に、安らかに、旅の準備をするべきである。
片足を棺おけに突っ込んだ老人世代は最も強い世代であるはず
だ。もはや、死ぬことは怖くない世代だからである。
だから、神の手足となって、最後の奉公をすることだ。
「年よりは一家の宝」とチャイナでも言うそうだ。年よりは、一家の
福の神、守護神、巫女であり神近き使いである。
年寄りを大切にしよう。
年寄は、白道、すなわち、仏神への道に励み、精進しよう。
神聖であってこそ、大切にされる。
三世代が楽しく暮らし、その大家族の福の神となるように。
高齢社会を、『愛と祈り』の幸せな時代としたいものである。
Bafun