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5年経ち・・・

今日8月14日でちょうど5年。



いわゆる「発病」といえる状態から。

5年前の今日も暑い日。


気持悪さと嘔吐と頭痛で休日の救急病院に行ったのが5年前の今日。




今考えてみると、病院嫌いの自分がよく休日に病院に行ったものだ。

虫の知らせだろうか。



あの時、病院に行ってなかったら今の自分はきっとないだろう。

しかも緊急を要する「劇症肝炎」だけに、その病院が違う病院だったとしても、

たぶん・・・




その後、転院する中、

「今日にでも、どうなってもおかしくはありません。」

と宣告された妻の心境はどんな感じだったのだろう。




5年経ち・・・

あの時の、あの一年の記憶も薄れつつある。

「移植」なんてあまりにも非現実的。現在はまだ。



「移植」で命を救われた人たち、きっとみんな色んな思いを抱いて生きているんだ
ろうな。

本人だけでなく、そのご家族も。むしろご家族こそ、か。


助かったって、それでも辛い事も苦しい事も多いのだろう。




非現実と現実の狭間で、生かされているのか活きているのか。


もう二度と、5年前には戻りたくない。これだけは言える。


だってぇ、あんな事、もう、無理無理。

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コメント
 
 
 
長いようで短いような (ハムのすけ)
2010-08-15 16:16:28
5年ですね。確かに、発病も移植手術の大変さも、もうコリゴリです。

かんぞうさんは、発病から待ったなしで移植されたのですね。私の場合、かんぞうさんとは原疾患が違うため、発症後は薬でダマシダマシして、手術は10ヵ月後でした。その代わり、術前術後の記憶は鮮明でして・・。

あの時、手遅れで死んでいたのかもしれないのに、現実は移植で助かっている。何か意味があって、生き残れたのだろうな、と最近思うようになりました。

しかし、では何か有意義なことをしているか?と言われても、ウーン、と考えてしまいます。これではいけないのでしょうけれどね。
 
 
 
運命 (かんぞう)
2010-08-15 22:11:26
もう完全に運命だと思っています。
あんな目にあったのも、生きられたのも。

だからではないですけど、今は「我慢」が一番良くないかなと思っています。
あと、「迷い」も。

有意義じゃなくてもいいじゃないですか。
結局、できることって限られていますし、ならば思い立ったら吉日で即実行、内容は二の次、っていうのもありかと思っています。


自分はあれよあれよという間の移植でした。
ですから、ハムのすけさんやほかの皆さんで、何か月、何年待って移植、という事がどれだけ精神的負担が大きいのかと、いつも思っています。
その点では自分はまだいい方なんだろうと思います。

だからこそ、ではないですが、次、があるとしたら、これはもう耐えられそうにありません。
あの経験をして、一連の流れを知ってしまった以上、ちょっと自分には無理かなと思ってしまいます。


でもまぁ、これからどうなるか、これこそ運命なんでしょうね。
 
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